お立ち寄りの皆様へ。
おひまでしたらハートフォード代表、コネティ加藤のつぶやきを聞いてやって下さい。
(WEBスタッフ@ハートフォードより)
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第30話 私の根城
私の趣味は「ビリヤード」である。
高校生のころからやっているのでキャリアは四十年ということになる。最も、昔は4つ玉だったが20年位前の米国研修に行った際、大学のキャンパスでいわゆる「ローテーション」を覚えた。「東南アジア」組、「ヨーロッパ」組、「アメリカ」組など即席のチームが出来てよく「東南アジア」組に引き込まれてトーナメントに参加させられたものだった。
玉を突くは英語では「shoot pool」と表現するが銃を撃つと同じように「shoot」を使う。狙うこと、玉(弾)を使うことでその表現となったのだろう。ここ何年かは玉を突くという機会がめっきり減ってしまった。
以前は9番を落としたら勝ちという、いわゆる「ナインボール」ばかりやっていたが最近は「ボーラード」がマイブームである。「ボーラード」とは名前の通り「ボーリング」と「ビリヤード」を掛け合わせたもので10個の玉をピンに見立ててボーリングのルールで点数をカウントするゲームだ。ビリヤードのプロテストにも採用されているので自分の能力をはかるには良いゲームともいえる。
「ナインボール」は相手がいるゲームだが「ボーラード」は一人でできるのがお手軽でよい。「ボーラード」が面白い一番の理由はブレークの後、緻密なパズルを解いていくように展開(戦略というと大げさか?)を想定しながら一球、一球と進めていけることだ。相手がいる訳ではないので急かされることも無いし遠慮なくじっくりと考えてストライク(ノーミスで全部の玉を取りきること。)やスペア(ミス一回で取りきること。)を目指すことが出来る。ストライクやスペアを取ったときの達成感がこのゲームの醍醐味と言ってもいい。 |
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私が心がけているストライクのためのコツはブレーク以降、ポケット前の玉からまず取る、5球目までは出来るだけ簡単な玉からとる。6球目くらいからどれを取っていくかの展開をイメージする。「ナインボール」と違って「ボーラード」は1から順に9まで取っていく必要が無いゲームだから、自由な発想で取りきる為のゴールを目指す訳だ。ゲームと書いたが「ビリヤード」は立派なスポーツだ。オリンピックでエギジビジョンとして取り入れられた競技でもある。その点でもファストドロウや他のシューティング競技にも共通していると思える。
ところでこのビリヤード屋さんが私の根城になる訳だが、東京では吉祥寺バグース、名古屋ではダマ・デ・ノッチェというところに行く。鉄砲も好きだけどビリヤードも好きという方であればどちらかのお店で会う機会があるかもしれない。そんな時は気軽に声をかけて欲しい。
ファストドロウもビリヤードも年を取ってからでも出来るスポーツと思う。
【2004年12月1日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
第29話 映画「アメリカン・ガン」を見て
忙しさにかまけ半年以上「独り言」はほったらかし。久しぶりに更新しました。長らくお待たせして(待ってない?)申し訳有りませんでした。今回、書きためていたものを久し振りに吐き出す事にしました。
前々回の「ボーリング・フォー・コロンバイン」に次ぐ映画のお話。
私は映画好きだ。仕事柄、ウェスタンやアクションなど鉄砲が出てくる映画はもちろんのこと、それ以外にサスペンス、シリアス、コメディ、ラブストーリー(私にはお似合いでしょ・・・?)などなど、洋画を中心に話題となればひととおりは見る。最近は映画館へ足を伸ばすだけの時間がとれないがビデオは週に2本くらいのペースで見る。
前に英会話を勉強したと書いたが、もう30年以上前の学生時代、先輩からヒアリング能力向上で「字幕を見ずして映画を見る。」ことを強要された。当時はもちろんビデオなどあろう筈もなく、朝一番に映画館に入って夜まで一日中同じ映画を繰り返し見るというとんでもない勉強法だ。暖房の切れかかった寒い劇場での一日を思い出し「あれって本当に役立ったのかな?」と考えてしまう。「卒業」(主演:ダスティン・ホフマン、おそらく10回以上見た。)をビデオ屋さんなどで見かけるとなつかしい反面、映画の内容ではない「ほろ苦さ」がこみ上げてくる。時代が進み便利になる反面、何か大切なものが失われるといわれるが、語学学習に関しては今はとても便利で上質な学習法が確立されていると思う。しかしながら、寒い環境ではあったが当時は方法はどうであれ学ぶという熱意があった。そのことは大切な思い出だ。ところで最近の学生はヒアリング能力向上に洋画ビデオを見るだろうか?
さて「アメリカン・ガン」を紹介したい。映画のテーマは紹介した「ボーリング・フォー・コロンバイン」に通じるものがある。
アメリカでの銃器氾濫が引き起こす悲劇がシリアスに描かれている。あまり書いてしまうとネタバレになってしまうので詳しくは書かない。しかし少なくとも自分がいる国が銃器を持てない日本で良かったと感じさせられた。
初めのシーンでとてもきれいにエングレービングされたピースメーカーが出て来る。本物かどうかは分からないが興味のある方はぜひ見てほしい。でもハンマーがレストポジションになく(たぶんセフティノッチ)トリガーが思い切り前に出ているのが気がかり。 |
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今回この映画の紹介をするにはまだ他に理由がある。一つは劇中の銃に関する字幕の英語翻訳のお手伝いをしたことだ。銃器の表現は日米、独特の専門用語があるため、時々こういった依頼がある。伊藤幸子さんという女性翻訳家の方から依頼を受け、お手伝いをした字幕部分を紹介しておくので私がお手伝いした所を注意して見て欲しい。
主人公が銃器メーカーに行って話を聞くシーンで、製品名なのかピースメーカーを作っているというくだりがあって、明らかにある会社をイメージさせている。
【字幕の紹介】
「我が社の設立は1872年。国内最古の銃メーカーの一つで珍しい家族経営。競技用、護身用のリボルバーを製造してます。一番人気は”ピースメーカー”。”西部を征服した銃”と言われている。」
もうひとつの紹介の理由。それはこのビデオが発売になってから主演がジェームズ・コバーンであることを知った。ウェスタンファンの我々には馴染みの深い俳優さんだ。出世作「荒野の七人」でナイフ使いの名人役が強烈な印象として残っている。
ユル・ブリンナー、スティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、ロバート・ヴォーン、ブラッド・デクスター、ホルスト・ブッフホルツの6人のうち、健在なのはロバート・ヴォーンだけ。2003年、ホルスト・ブッフホルツ、チャールズ・ブロンソンと立て続けに亡くなったが2002年暮れに亡くなったのがジェームズ・コバーンだ。彼をスクリーンで見るとまず「荒野の七人」を思い出してしまう。
最近は西部劇映画が作りにくくなってきているという。馬に乗れる俳優さんが少ない。ガンプレイが出来る俳優さんが少ない。ロケ場所が少ない。などなど、、、色々と制約はあるだろうがそれでも西部劇をもっと作ってほしい。
蛇足だがディズニー映画「モンスターズ・インク」でモンスターズ・インク社の社長、ウォーターヌースの声役もジェームズ・コバーンだった。
【2004年12月1日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
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「アメリカン・ガン」のDVDジャケット写真。レンタルビデオ店で見つかるはずです。セルDVDもまだ手に入ります。 |
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第28話 米国ラスベガス SHOT SHOW 2004 リポート
平成16年2月10日から19日まで、米国ラスベガスで開催されたショットショーに取材をかねて出向いた。会場では特に私の好きなオールドガンを中心に見て回った。詳報はアームズマガジン2004年5月号に掲載されるので、そちらをご覧頂きたい。ここでは本には書けなかった話を中心にまとめた。
[記事全文] |
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(写真が多く、長文の為、別頁です。非常に美しいSAAの写真が沢山あります。是非ご覧ください。
by WEBスタッフ)
【2004年3月21日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
第27話 映画「ボーリング・フォー・コロンバイン」を見て
日本39人、イギリス68人、オーストラリア65人、ドイツ381人、カナダ165人、フランス255人、この数字を見て皆さんは何の数字と思うだろうか?実は銃器によって亡くなった人の年間人数だ。そして何とその数字はアメリカでは1万人以上(正確には11,127人)と桁が違う。
最近、「ボーリング・フォー・コロンバイン」というドキュメンタリー映画を見た。この映画の中にこれらの数字が出てくる。(2003年アカデミー賞最優秀長編ドキュメンタリー賞受賞作なので、見られた方も多いと思う。)
なぜアメリカでは銃器犯罪が起こるのか?。なぜ減らないのか?。を、アメリカ人の目で色々な角度から掘り下げた映画だ。
この異様な数字を見て思い出すことがある。1980年にアメリカへ行ったときのことだ。
コロラド州デンバーにあるガンクラブのシューティング大会に招かれた。クラブ名は「オーロラ・ガンクラブ」。大会はオールアラウンド・シューティング・コンペというタイトルだった。
当時31才だった私は、ゲストとして招待されたお陰で数多くの銃を撃たして貰ったというとてもいい記憶と銃の印象が残っている。
ケンタッキー・フリントロック。撃った瞬間、目の前が真っ白になって煙と匂いが思い出。
シングルショットの大口径45-90のウィンチェスターライフル、すごいリコイルショックだった・・・。など、珍しい銃も撃つことが出来た。
当時はイランでアメリカ大使館占拠騒ぎの頃で「大使館員が人質になってから何日目」という表示が新聞一面に毎日載るという、きな臭い時期でもあった。イラニアン・ホステージ問題で有名な話だ。このクラブの会長さんが私をピックアップしてくれた車の中で言った言葉がいまでも耳に残っている。彼は
「もし、私が合衆国大統領なら迷わず核のボタンは押しているね。」
と、さらっと言った事だ。
力で問題を解決するという観念は銃によって平和を保つ国ならではことなのだろう。その時ふと学生時代に、平和憲法下、もし他国から日本が攻められた時は「日本人全員が帰れ、帰れとシュプレヒコールをしよう!」という青臭い意見を思い出した。
話がずれた。
そのコンペが終了した後に軽いパーティみたいなものがあって、私もゲストとして挨拶をさせられた。
パーティは日本でいえばゴルフコンペの後の軽い食事会みたいなもので、ポテトチップとライトビールでワイワイやるというもの。突然、指名されてとまどって何とかスピーチを済ました後にもうひとりのゲストが呼ばれた。 |
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彼はNRA(ナショナル・ライフル・アソシエーション=全米ライフル協会)の当時の代表だった。
彼の語り始めた内容は全くのアジテーション。当時の大統領はカーター。その代表はカーター大統領のイラニアン・ホステージ問題での弱腰外交を思いっきり批判してから
「みんな、今度の選挙はぜひレーガンに入れてやってくれ。」
というおよそ日本でのゴルフコンペ辺りでは考えられないスピーチの締めくくりで終わった。パーティ会場は一種政治の場になってしまったのだ。こんな小さなコンペにでさえ政治運動をする協会の草の根活動と影響力に当時少なからず驚かされたものだった。ここらに関することは映画の中でNRA会長のチャールトン・ヘストン氏へのアポなしインタビューで、協会の政治的影響力の強さを浮き出させている。
銃犯罪の原因に銃の氾濫がある。そのバックグラウンドにNRAの存在がある。
帰国後、レーガンが地滑り的勝利をおさめた記事をみて納得した。
話は飛ぶが私が英会話を勉強し始めた頃、多分高校生だったと思うが、自分の能力向上と測定のため外人ハントをした。
一種のナンパなのだが、町を歩いている外人を見つけては声をかけ、お茶なんぞを飲んだものだ。ませた高校生というなかれ、結構真面目に勉強したつもりだ。
あるアメリカ人と「自由」について話をした時の事、銃を持つことの自由さがアメリカでの犯罪発生の原因ではないか?と、問うたとき即座に跳ね返ってきた言葉は「銃を持てない不自由さ」より「銃を持てる自由」を僕は選ぶね。と、言い切られてしまった。振り返ってみて日本でも我々が知らないところで銃の蔓延化が進んでいるそうだ。おもちゃの鉄砲で戦争ごっこしたり遊ぶことが出来る日本は幸せだと思っていたが、一方で進みつつある銃社会への恐れを感じる。
アメリカのような銃犯罪社会にならない様最近密かに願っている私だ。
【2003年12月7日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
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1980年当時コロラド州デンバーのシューティングコンペにゲストとして招かれた時の写真。私のすぐ右側のテンガロンハットの人がNRAの代表の方だったと記憶している。若いでしょ。 |
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コンペでは現代銃のハンドガン、ライフルだけに限らず写真のパーカッション・エリアやトラップ(ショットガン)のエリアなどバリエーションに富んだコンペだった。 |
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ボーリング・フォー・コロンバインのDVDのジャケット。
コロラド州リトルトンで起った悲劇が題材になっている。
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第26話 2003オールジャパン
ファストドロウチャンピオンシップ ミニレポート
驚きとドラマ…今年の大会。
2003年11月2、3日、恒例の上記チャンピオンシップに参加した。成績については別頁に結果速報が掲載してあるので、そちらを参考にされたい。
ここでは私の感じたままを載せることにした。
開催されたのは2000オールジャパン(本稿5話にて紹介)の開催されたベイサイドプレイス博多埠頭だ。いつも思うのは、ここのロケーションの良さである。新幹線博多駅から、また福岡空港からのアクセスがとても良い。2000年の時は東京〜福岡間を飛行機で行って新幹線で帰るという交通機関の選定だったが、今回は行きも帰りも新幹線。名古屋〜福岡をのぞみでは約3時間20分。東京ではちょっとしんどいが、名古屋からの往復はそれ程負担ではない。本当に便利になったと思う。
さて本題のチャンピオンシップは話題満載だった。
まずは参加シューター57名中(私も含まれている)、初参加者が15名というもの。熱心なシューターが多いといわれる九州が、そのすそ野の広さを証明したものと言える。
そして女性シューターの爆発!!。
とかく女性シューターは「大会の華」として持ち上げられがちだが、今回出場した女性シューターはみんなが実力を伴っての参加だった。
ダブル・バルーンで0.595なんか出すかぁ?私のタイムと言ったら…(涙)。
ドラマもあった。 |
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本命の一人といわれていたキース大庭氏が大会数日前に骨折をしてしまったのだ。にもかかわらず大会の前々日、フジテレビ「笑っていいとも」(10月31日オンエア)に出演した彼を見た人はかなりいると思う。そして驚かされたことだろう。骨折した利き手を使わずして左のサミングで0.4秒台を出していたからだ。
もっと驚きは大会の当日ではギブスのままシュートし始めたことだった。
目が点になったね。
その結果たるや?総合成績で2位。ドラマという言葉がピッタリの結果だった。
もう一つのドラマはバズ種崎氏の優勝だろう。スピーチの中でどうしても欲しかったタイトルだったと言われ、同時に家族への感謝を表された。その時、観客席後方の家族の方、特に奥さんの涙ながらの喜びに今回の一番大きなドラマを感じた。
驚きとドラマ一杯の今年のオールジャパンは成功裡に終わった。気が付いたことだが早い人とそうでない人の格差はどんどん広がっている。今回それが顕著に表れた。来年こそ気を引き締めて参加しなくてはと「真剣」に思った。驚いている側でなく、ドラマに酔っている側でなく、その対置に近づかなくては…。
その努力もフロンティア・スピリットの一つなのだろう。
【2003年11月15日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
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会場風景。シングルバルーンでは4人が並んでシュートする。 |
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恒例の国歌静聴。帽子を胸にアメリカ国歌と君が代を聴く。 |
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骨折でギブスのままシュートするキース。本当に骨折してるの?とつっこみを入れたい位早い。(注)隣りのバルーンはまだ割れていない。 |
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ワックス(ガスガン)競技風景。 |
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賞品のトロフィー、盾、各社から提供の賞品群。 |
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ダブルバルーンで0.595なんか出すかぁ?と書いたYOKOのシュート。きれいに割れた二つのバルーンの破片が飛び散っている。
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ベストスリーの紹介。今回の優勝にドラマを感じさせたバズ種崎氏(中)、骨折にもかかわらず2位を確保したキース大庭氏(左)、王国、九州にくさびを打ち込んでくれた3位のドク堀氏。 |
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実力と美貌を伴っての参加女性シューター。精鋭5名。左からMami、Macoto、Virago渡久山、Yoko(福岡HOTSHOT)、Nori小浜(神戸Bang!!Beat) |
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我等がピーメイ・クラブメンバー。左からエース安井氏、ジェーガー岩井氏、私、会長のマッキー立木氏。 |
なお、ピーメイ・クラブのホームページには大会写真が多数アップされているので、そちらでもお楽しみいただけると思う。 |
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ワフダ−ジャパン、並びに九州地区のシューターの皆さん、大会開催ご苦労様でした。私のダブルホーン(ハンマーがサミング、ツーハンドどちらも使えるようになっている。)SAAにいたく興味を持ってくれたレッド馬場氏、最終日のガンプレイご苦労様でした。写真はレッド馬場氏と私のダブルホーンSAAのツーショット。上下二丁がレッド氏の、下が私のSAA。 |
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今回の初参加者15名。余りに多くて1枚に納まりきらなかった。 |
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第25話 ビバ!! アストレス収録記
(アームズマガジン平成15年11月号にも掲載)
放送された番組を見た人もいるかもしれないが、平成15年6月4日(水)テレビ録画があった。
ファストドロウを取り上げるテレビ企画は結構あって、私達にとってはその依頼はそう珍しいことでない。過去には「ニュースの森」「ハロモニ」(ハローモーニング)「気分は上々」「はなまるマーケット」などなど結構メジャーな番組でも取り上げられている。
今回の収録のテレビ番組名は「ビバ!!アストレス」というタイトルだった。
最初の電話で企画を説明された際に、この「アストレス」が聞き取れなくて何度も確認した。ついには「そうかストレス解消でファストドロウに挑戦するんだな。」(かってにアを抜かして)なぁんて適当に納得して思い込んでいたほどだ。
ところでアストレスってナニ?という方のために説明すると、スポーツ選手の英語をアスリート(athlete)と表現するが、それに女優のアクトレス(actress)をミックスした造語だそうだ。私にとっては初耳の単語。そりゃ分からんのも当然か。出演するこのアストレスの皆さんとは実はアスリートの文字通り、女子プロレスの方々だった。男顔負けの体格のプロレス嬢が奇声をあげながら向かってくる姿を想像してしまい、つい電話口で「私達がヤバイ事にはなりませんよね。」という、西部の男を目指すには超程遠い軟弱な応対をしてしまった。担当の方がいうには「いえいえ皆さんは20代のお嬢さんばかりできれいな人たちばかりですよ。」との返事。(えっ、若くてきれいな女?)この一言で態度は豹変したね。浮き足立ってはいけないと声を引き締めはするものの、顔のほうはつい口元が緩んでしまう。中年オヤジと誤解されてはなるまいと、ソフトな語り口で企画協力を申し出るが…。 |
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「はい、撮影はウィークディでもいいですよ。」
「ホルスターや銃の手配は全てこちらでやりますからサイズだけは教えてください。」
「良ければお嬢さん方の採寸に出向きますが・・。」ってな調子でいつもの苦虫を噛み潰した西部のガンマン気取りもそっちのけ。
努力が効を奏したかその数日後には企画がとおりましたの連絡。ラッキー!!久しぶりに若いオネーチャンとお仕事が出来る!!
うれしさの余りみんなにこの事を吹聴したら、喜んだのは私だけじゃないんだよネ。その証拠に、収録当日の朝には呼んだ訳じゃないのに我が東京店にとぐろを巻く中年オヤジ連中が鼻の下を伸ばして集まってきたじゃないですか。
それもみんなカメラなんぞをぶら下げて…。オヤジ達の面子を考えて誰とは言いませんがネ。
さて、本題の企画は当初は「荒野の7人」ならぬ7人のアストレスがファストドロウに挑戦する。と、いう内容だったので、まぁ東京店の入っているコスモビル屋上でやっているファストドロウに彼女達に挑戦してもらおうと、考えていた訳だが…。実はちょっと違った。なぜなら、私も先生役で出演して下さいといわれたからだ。
冷や汗物の収録の顛末は写真とキャプションで…・。
【2003年11月14日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
賀川照子(1期生)。
こんな2丁拳銃ってあったっけ?ホルスターに入った2丁のピースメーカーにご注目。
生年月日:昭和50年(1975)3月20日。
身長:158cm 体重:49kg。スリーサイズ:B83/W60/H86。
スポーツ歴:テニス、マラソン、水泳、エアロビクス |
柏田千秋(1期生)。
きりっとした目鼻立ちの柏田さん。一番背が高いのでガンを構え姿がとてもかっこ良かった。
生年月日:昭和51年(1976)10月19日。
身長:170cm 体重:60kg。スリーサイズ:B90/W63/H96。
スポーツ歴:新体操、バレーボール、水球、エアロビクス |
古田圭子(1期生)。
そのかわいい背丈におよそ女子プロレスラーとは思えない彼女。人懐っこい性格なのかいつもニコニコ笑顔がたえなかった。
生年月日:昭和57年(1982)1月13日。
身長:153cm。体重:40.5kg。スリーサイズ:B75/W60/H80。
スポーツ歴:空手、サッカー |
石川美津穂(2期生)。
東城えみさんと同じ元CATS(コンバット・アクション・チーム)メンバー。元レースクイーン。
生年月日:昭和50年(1975)8月12日。
身長:164cm。体重:52kg。スリーサイズ:B84/W59/H86。
スポーツ歴:空手、キックボクシング、ガンアクション |
桜花由美(2期生)。
アクションと演技で総合優勝した桜花さん。優勝賞品(?)はなんと鬼怒川の「ウェスタン村」での単独出演。その顛末もオンエアされたが番組のおまけの入浴シーンが注目(私には)。
生年月日:昭和54年(1979)4月4日。
身長:168cm。体重:55kg。スリーサイズ:B83/W62/H88。
スポーツ歴:テニス、マラソン、水泳、エアロビクス |
東城えみ(2期生)。
どこかで見覚えがあると思ったら、東城さんと石川さんは小峰さん率いる元CATS(コンバット・アクション・チーム)。東京マルイさんのイベントで記憶の方もいる筈。
生年月日:昭和51年(1976)4月9日。
身長:161cm。体重:47kg。スリーサイズ:B84/W58/H88。
スポーツ歴:シンクロナイズドスイミング、サッカー、ガンアクション |
秋山恵(2期生)。
アストレスメンバーの中でも一番おっとりした秋山嬢。銃をもった雰囲気も「いやし系」でした。
生年月日:昭和51年(1976)12月15日。
身長:166cm 体重:56kg。スリーサイズ:B88/W63/H88。
スポーツ歴:乗馬 |
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無事、収録も終わる頃には彼女達はもう立派な弟子。でもやっぱり体育会系の女の子はからっとしていいな。さわやかな初夏の一日ではありました。ところで若いオネーチャンと一緒のためか私の口元のゆるいこと。おじさんだね。 |
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恒例の集合写真です。前お二人が吉本興業の原さん、又吉さんです。私はカメラマン役でしたため加わっていません。上列左からペイルライダーズのトルネード吉田氏、チームリターンズの村山氏。 |
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中年と言われるには大抵抗かも知れないが古川嬢にガンスピンを個人(?)トレーニングするトルネード吉田。 |
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収録は当初、ハートフォード東京店のビル屋上でやっていたが突然に雨が降ってきたため急きょ店内での撮影とあいなった。写真はファストドロウのバルーンシュートのトライ中。 |
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撮影の合間の一こま。みんな屈託がない。あー、これこれ、モデルガンを人に向けちゃいけないといってるでしょ。石川嬢と秋山嬢。 |
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雨の為ハートフォード東京店の店内へ移動しての収録風景。撮影は終始和気あいあいで行われた。さすがは吉本興業の皆さん。笑いが絶えることは無かった。 |
●アストレス オフィシャルサイト |
第24話 「エースのジョー」現る
昨日(15年8月12日)暑中見舞いが届いた。
差出人はエースのジョーこと宍戸錠さんからだ。
昨年あるお仕事で、かの大俳優宍戸錠(いや我々ガンマンからはエースのジョーと呼ばせてもらうべきか)ご本人とお会いする機会を得た。今回はそのことについて書いてみたい。
平成14年9月30日、ハリウッド映画「テキサス・レンジャーズ」(ギャガ・コミュニケーションズInc.)の試写会に招待された。
場所は新宿、朝日生命ホール。映画はもちろん西部劇−−うれしい、でも、久しぶりで悲しい。
この試写会に私が行ったのは、当社がタイアップしていたからだ。
試写会が始まる前にトークショーというのがあって、メイン・ゲストとして「宍戸錠さん」が出られた(写真参照)。当日、宍戸さんやテキサス・レンジャーズ・ガール(そのままやないか!!)の皆さんが使用するピースメーカーやホルスター等を提供したという訳だ。ただ、宍戸さんだけは自前のホルスターを用意されていた(さすが!)。
舞台上で司会者の方が当社のピースメーカーやファストドロウについて説明。宣伝効果は充分あったと私は満足している。それよりも試写会が始まる前に直接宍戸さんご本人にお会いすることになった。
実は今からさかのぼる事、25年以上前、私が広告代理店にいた頃、ある建設部材メーカーの広告コラムで宍戸さんにエッセイを連載依頼したことがあった。面識は無くとも、とても親近感のある方だったのだ(当たり前か、日活黄金時代の大スターだもんな)。 |
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試写会が始まる約40分前、緊張した面持ちの私は宣伝担当の人に導かれて楽屋に案内された。部屋には司会の女性、テキサス・レンジャーズ・ガール、宍戸さん、P.A.(音響)の方々がテーブルについて打ち合わせ中。その最中に私を見つけた宍戸さんがその打ち合わせを中断してまでお話してくれた。立ち話ではあったがピースメーカーに始まってウェスタンやファスト・ドロウにまで話は及んだ。また、その昔エッセイをお願いしたことやファンだったことなど、そんな昔話にすごく喜んで頂いた。楽屋を失礼する際握手をしたエースのジョーは年令(69歳)にもかかわらずある種のオーラに輝いていた。私自身、日活無国籍映画でのエースのジョーをライブ(ろくでなし稼業、早射ち稼業、そして赤木作品の拳銃無頼帳シリーズのライバル役など)で見ていた訳だから感激もひとしお。現在のこの仕事を選ぶことになったのもウェスタンだけでなく、多分に当時の日活コルトに影響を受けたのもあるからだ。こんなすばらしい出会いのチャンスを作ってくれたこのお仕事を誇らしく感謝している。「エースのジョー」いつまでも元気でそのオーラで我々にエネルギーを与えて欲しいと思う。
冒頭の暑中見舞いの葉書にホームページをオープンされた事が記載されていた。ぜひ、アクセスを。
●宍戸錠さんのホームページ
●息子さんで俳優の宍戸開さんのホームページ
【2003年8月14日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
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試写会でのスナップ。宍戸さんが使っているのは当社のコルトSAAオールシルバーシビリアン。まわりがテキサスレンジャーズガール。 |
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その後、宍戸さんのパーティに招かれた。その時のスナップ。 |
(本イベントは手術後に開催されたものです。) |
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久しぶりの本格ウエスタン・ムービー「テキサス・レンジャーズ」のポスター。
DVDが発売されているので、機会が有ったら見てください。 |
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第23話 東京店「SAA メモリアル・コーナー」 その1
当社のネットや広告で、このコーナーのお知らせと写真を出していたのを気づかれていただろうか?。私が個人的にコレクションしているトイガンを含めたウェスタン・モデルガンを中心にGケースに入れて展示しているものだ。今回はその中から往年のトイガンの写真を中心に独り言をまとめてみた。
写真を楽しんで欲しい。
昭和30年代、私達はこれらのトイガンで巨大な国アメリカを夢見たものだ。
マテルのシューティング・シックスなどでピースメーカーはダブルアクションだと今では苦笑いの勘違いも可愛いものだった。また、元のトイガンこそ無くなってしまったが小学生の頃手書きで作ったマニュアルも見つけた。 |
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当時は真剣に自分がガン・メーカーになる夢を見ていたのだと思う。
今では恥ずかしいものだが、恥ずかしいと思いつつも当時のガンに対する思い入れはこれらのコレクションと共に大切にしたいと思う。当時の気持ちを忘れずにガンメーカーとして頑張りたい。
今後このショーケースに入っているトイガンはこの独り言のページにて順次紹介していく予定。ご期待を
【2003年8月14日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
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おなじみマテル・スナブノーズ。現代銃だがグリップを変えてウェスタン・タイプにしたものも有るそうだ。 |
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以前GUN誌にて紹介されたこともあるピースメーカーもどき。銃身には「COLT 45 PEACE MAKER」とある。 |
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マテル社のバックルガン。コルトデリンジャーもどきだが、小さいながらそのデザインとバランスはなかなかいい。おまけは当時のマテル社製カートリッジの後ろに貼る紙火薬と巻き玉火薬の写真をつけた。 |
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マテル社の「シューティング・シックス」マテル社ではこの他「ファンナー」もあった。私はこちらのほうがピースメーカーによりリアルという点で子供なりに気に入っていた。このダブルアクションが本物のメカと信じていた。 |
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ヒューブレィ(HUBLEY=ハブレィと発音する人がいるが、どちらがホント?)の60アーミーもどき。実物より大きい。 |
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ヒューブレィ社のレミントンもどき。けっこう子供の頃はデザインが気に入っていた。オリジナルのグリップはピカピカした黒だったが茶色が良くて変えてしまった。 |
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写真のガンは当社東京店で展示しています。興味のある方は遊びついでに見に来て下さい。
【注】展示物のトイガンはすべて銃口を塞いで金色にしています。(対称面で分解できるいわゆるモナカモデルであっても全長が18センチメートル以内のものであっても銃口閉塞、金色塗装しています。)
バックルガンのみあきらかに玩具と見える事から当時の仕上げのままで展示しています。
※関連法規:銃刀法第22条の2第一項および内閣府令第17条の二「模造けん銃の所持の禁止」、銃刀法第22条の3および内閣府令代17条の三「販売目的の模擬銃器の所持の禁止および模擬銃器に該当しない物」
第22話 運転免許停止処分経験談(涙)
全然、鉄砲に関係ない話だが「免許停止」と相成った。
理由はスピードオーバー。東名の厚木インター付近でオービスに引っかかった(失礼)。うっかり(53キロオーバーで「うっかり」とは言えないと思うけど!…影の声)スピードにのって機嫌よく、調子よくハイウェイクルーズをしていたら一瞬、目の前が真っ赤になった。
そう、その時が写真をとられた瞬間だった。
「オービスで写真を撮られてしまった。」と言うと「フィルムが入ってないよ」とか「他府県ナンバー(ちなみに私の愛車は名古屋ナンバー)はお目こぼしがあるそうだ。」とか「横に女性を乗せていると呼び出しは無いらしい(もちろんそんなことは無い・・・。念のため)。」などなど、なんと無責任な発言のオンパレード(古い!!)。挙句のはてはつかまったことを手を叩いて喜ぶ人も(みなさんお友達は選びましょうネ)。
今回の私のエッセイはこの顛末を赤裸々に語りたいと思う。読みたくない人(みんな?)はこの駄物語を無視しても良いぞ。
ぴかっと光ったのが今年の2月5日夕方6時頃。多分、写真を撮られた?いやいやあれは違う光(何の?UFOとか)に違いない、ひょっとして、万一、偶然にも、そうであっても呼び出しは無いだろう。
私の心は乙女のように揺れ動いたね。
大きな葛藤を背負い込みつつも取り敢えずその心配を小さな無意識に押し込んで日常に戻ったものだった。変化があったのは2月14日、我が家に神奈川県警からの呼び出しの知らせがあったのだ。
ガビ〜ン。我が愛する奥様はなんとゴジラのように火を噴いて怒った。
「罰金はいくらかかるのよ?!」
平身低頭、ごめん。
呼び出しの日程は2月20日、ちょうど東京に居るときだから直接、厚木の署(正確には神奈川県警察高速道路交通警察隊厚木分駐所という何と長たらしく、しかめつらしく、憎たらしい名前のところか。くそっぉ、、、ひょっとして官憲の方見てたらごめん。)に出向くことにした。
ここでひょっとして直接行くことで少しでもまけてもらえるかも知れんというスケベ心があった事は否定せんぞ。ほら、遠くの店に行って、店の人が感激して安くしてもらったりおまけ付けてもらったことあるでしょ?(ないか)と、まぁそんなノリで東名高速厚木分駐所に向かった。がやっぱ、お役所は固いね(あたりまえか)。
今後のために皆さんへのアドバイスをするとまず撮られた写真はめちゃくちゃきれい。
私のように特徴あるヒゲ面ではもちろんだが一般的に別人だと言って言い逃れは出来ないね。充分に人相は判断できる。瞬間の「あっ」というまぬけ顔の表情がもろに写っていた。あと、撮られた時の速度超過分がデジタルで写真の横にプリントされているので、まけてくれという交渉は無理。あまりの美しさに(私の顔じゃないよ、写真が!)、「あの〜、記念にその写真くれませんか?」といったらにべなく断られた。もしもらっていたらこのページに間違いなく載せていたのに…。
実はあとで聞いて分かったのだが、厚木からの呼び出しだからといってそこまで行く必要はないそうな。よくよく考えたら九州の人が違反して、北海道から呼び出し受けてまた北海道に行かなくちゃならないのなら大変だよな。私みたいに品行方正で今まで交通違反の無い人はこんなもんですよ。エヘン。 |
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ところで53キロオーバーは点数が何点なのか知ってるかな?、、、12点。
免許取り消しが15点だから危ういところであった訳だ。同時に免停の期間を聞いてみたらなんと中途半端な返事。
「90日かなぁ、60日かも知れんな」
はっきりしてくれ!!と言いたかったがこの答はその後の経過で分かった。
愛知県警から呼び出しが有るからねと言われてから2ヵ月後の4月15日、免許センターと裁判所の呼び出しが同時にあった。
免許センターではまず「聴聞」があって、そこで担当官と違反の経緯などのお話をすることで今後の再犯がないかどうかの判断をするようだ。
私の場合、その前の違反が無かった為「本来は90日免停のところ、前科もなく人の良さそうな顔もしているので(冗談)、今回は特別に60日免停にしてあげましょう。」ってな事で、結局は60日免停にまけてもらっちゃた。
ひょっとして事故なんかを起こしていたら取り返しのつかないことになっていた訳で、そう考えたら今回のお灸はすえられたことをいい薬だったと思うようにした。
免停講習は2日間みっちり受けた。見た後は思いっきり人生を考えさせられる映画(悲惨な、かわいそうな、痛そうな、など充分にインパクトは有ったよ)を7本も8本も見させられたけど、免停が終わって機嫌よく運転をしている今、今回の一連の事は改めて「殊勝」に考えるいい機会だったなと思っている。「安全運転」が一番だもんね。皆さんも気をつけて下さいよ。
ちなみに罰金は金八万円だった。ぐすん。
蛇足ながら平針(名古屋の免許試験場がある地名です)免許センターに行く途中の地下鉄平針駅にあるコーヒーショップでの話。
講習中はよく立ち寄らせてもらったが初めて行った日の朝の会話。
私:「今日から免停で免許センターで講習なんだけどタクシーはこの前でつかまえられるかなぁ?」
コーヒーショップのママさん(ドラゴンズ立浪さんのファンらしい):「あんたぁ、そんなもったいにゃー事言っとってかんわー。うちの前にバス停があるぎゃー。それに乗ってきゃー、ただだで。」翻訳すると「貴方、そんなもったいない事言ってはだめだよ。うちの前にバス停があるでしょ?それに乗って行きなさい。タダだから。」
ま、私も名古屋人だからどえりゃー名古屋弁は許せるけど、んっ?その後の?ただ???どういう事???。
答はすぐに出た。ママ(私の白いヒゲ面を見ながら):「あんた、敬老パス持っとるでしょー」(名古屋の敬老パスは65歳から発行される)
私はそれを聞いて愕然としたネ。その日は一日抜け殻のようにして講習を受けた次第。
実は7月27日の「ホビーエキスポ2003」のイベントが終わった今、ヒゲは剃っている。もし何かのイベントで私を見かけてヒゲ面だったら多分その時はこのショックから立ち直った後だと思う。
【2003年8月14日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
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厚木署からの呼び出し状(涙)。 |
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講習中お世話になりました(笑)。 |
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平針免許センターでの講習案内状。 |
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第21話 「2003 カントリージャンボリー in
ひるがの」リポート
5月24、25日、ひるがの高原で開催された「カントリー・ジャンボリー」に参加した。
昨年のジャンボリーは10月に開催され充分な前宣伝や準備が整わないまま開催という反省を元に、今年は5月の最終土曜日と日曜日をその開催日に当てられたものだ。
本来の目的はひるがの高原の村おこしの活動で、そのタイトルのとおりウェスタンをテーマにしている。私のエッセイなどで書くことだがウェスタンは一つのライフスタイルだ。そのウェスタンという山に登るにはたくさんの上り口がある。例えば音楽であったり、ダンス、乗馬、ファッション、そして我らが推し進める「ファストドロウ」もその一つである。このテーマに沿った各分野のエキスパートの皆さんが集まって(もちろん、われわれも含めて)ほとんど手弁当で企画して実施したのが今回の「カントリージャンボリー」だ。
今年は充分に討議して企画を練ってポスター、チラシを作って配ってその効果は集客も含めて上がったといえる。私はこのミーティングには1回しか参加しなかったが、我がピーメイ・クラブのメンバーが忙しい中を割いて企画の練り上げに努力してくれた。
ところで、今回の目玉はなんと言っても米国、カリフォルニアから来てくれたカントリー・シンガー「レイチェル・セダカ」嬢。
彼女とわれわれとの出会いも稀有なものだ。ピーメイ・クラブのホームページ(本WEBのリンクから飛べます)で彼女の曲を使っていたところ、管理人のマッキー立木さん(現ピーメイ・クラブ会長)にメールが入ったそうな。当初、マッキーは「勝手に使っちゃ困る」みたいなクレームだと思ったらしいのだが、実は「使ってくれて有難う」だったそうだ。そのきっかけから、今回のジャンボリーにレイチェルが参加することになった。
縁は国際的にも奇なものといえる話だね。 |
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5月14日、レイチェルを名古屋国際空港へ迎えに行った。実は私は国際線と思い込んでいた為、出迎えに5分ほど遅れてしまった。取り敢えずの通訳役も遅刻してはね・・・皆さん、ごめん。
着いた足ですぐに主催元のカフェ・バー「ペリカン・ピーツ」にレイチェルや彼女のママと連れて行かれ、みんなの歓迎を受ける。そして彼女は持ち歌を歓迎のお礼としてみんなに披露したのだが、22時間かけて「ロサンゼルス〜成田〜名古屋」に着いてその疲れも見せず、けなげに歌う姿はとても感動的だった。私はすぐにファンになってしまったね。笑顔がまた良いんだよね(中年オヤジ的?)。
彼女の曲に興味のある人はピーメイ・クラブのホームページのファストドロウ・コーナーに彼女の「バレンタイン」という曲が載っているので聞いて欲しい。
さてジャンボリーのイベントはとても楽しい二日間だった。本来が出不精で泊まる事さえ面倒だなぁと思っていたのが嘘のようだった。今回はレイチェルとの出会いがあったし、ピーメイ・クラブのみんなと長いこと一緒にいれたし、ガンランナーズ、はちどり、栄チャン(エージェント向川氏ね)の家族、立松夫婦と久しぶりの邂逅だった。
本当に行って良かった。
ファストドロウの体験コーナーではたくさんの来場者に楽しんでもらえたし、十分に普及促進活動が出来た。行きも帰りも寝てばかりだった道中だったけど、運転役してくれたドク太田さん、有難う。
来年もみんなで楽しもう!!。
【2003年8月14日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |
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ファストドロウにトライするレイチェル(珍しい写真かも?) |
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二人でパチリ。 |
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当社のSAAをレイチェルに持ってもらっての記念写真。 |
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ファストドロウ・メンバー全員とレイチェルとで。大阪ガンランナーズの皆さま、お疲れ様でした。 |
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大阪 VS 名古屋。
勝者はどっち? |
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カントリーダンスを楽しむペリカン・ステッパーズのお嬢様方。 |
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レイチェルのステージ。 |
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つぼにはまったようで、何度も何度もトライしてたお二人でした。
お店にも遊びに来てね。 |
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ご清聴(?)ありがとうございました(笑) from WEBスタッフ@ハートフォード
(background illustrated by ソウマン)
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