平成16年2月10日から19日まで、米国ラスベガスで開催されたショットショーに取材をかねて出向いた。会場では特に私の好きなオールドガンを中心に見て回った。詳報はアームズマガジン2004年5月号に掲載されるので、そちらをご覧頂きたい。ここでは本には書けなかった話を中心にまとめた。
旅の面白さは「出会い」と「ハプニング」に尽きると私は思っているが、今回もいろいろ有ったので、それを紹介したい。
その前に、一昨年のこの稿で「アメリカに行くならA.A.(アメリカン・エアライン)がお勧め」と書いた。今回もこの航空会社を選んだ。理由は席が前、横どちらも広いこと、食事が食える(うまいという程ではないが…)、長時間のフライトに耐えれるだけのエンターティンメント(新作のハリウッド映画を含め、映画4本、ドキュメンタリー、スポーツ、NHK番組と10チャンネル有る)が豊富なことだ。もちろんビジネス・クラスやファースト・クラスで行く人にはこの話は無縁である。私のようにエコノミー・クラスを選ばなくてはならない人のための貴重な情報でアル。今回は機内の写真もアップしたので、是非ご覧の程を。
さて、ラスベガスはギャンブルの町であることはご存知だろう。飛行機を降りたばかりの空港ビルフロアには既にジャックポット(スロットマシン)が並んでいる。私にはラスベガスでのギャンブルに良い思い出はない。思い起こせば20数年前、会社をドロップアウトして貧乏旅行をした時の事、初めて訪れた興奮の為か思いっきりジャックポットに入れ込み、挙句お金を使い果たしてしまった。と、いう泣くに泣けないお話だ。結局その後の予定地への航空チケットを売り飛ばして「飢え」を凌いだ。ベガス〜バンクーバー〜サンフランシスコ〜ロサンゼルスの予定のチケットをである。それでもお金は足らずロサンゼルスのバス・ディーポ(バスセンターみたいなところね)で確か二晩位お世話になった。新聞紙にくるまって寝てたら、掃除のオヤジにモップでつつかれて「ここは寝るところじゃねぇ!」とか言われたのは遠い昔のことさ(自嘲的?でも向うでホームレスにならなくて良かった)。にもかかわらず、今回も思いっきりジャックポットにはまってしまって自分の意志の弱さを嘆いているぞ、私は。とこの話を向うで一緒だった仲の良い同業者K氏にしたら「一体、いくら負けたんだよ」と聞かれ「500ドル位」と答えると・・・。彼はせせら笑いながら「いくらの機械やったの?」私、「5セント」。K氏(目を丸くしながら)「俺、1ドルの機械しかやったことねぇぞ。そんで帰る時にはほぼチャラにして帰ってきたぞ。」、私・・・・へこむ。やっぱり私には博才は無いな、と気が付いた次第。
今回の旅行のハプニングに入るかどうかは分からないが、英語がまるで分からず恥ずかしい思いをしたことが有った。私は一応英語はしゃべれるし、聞くことも出来る。と、思っていたのだが、それゆえの失敗である。
前述のK氏とカジノのコーヒーショップでお茶を飲んだときの事。カーフィー(coffee)と言ったまでは良かったが、ウェイトレスのおねぇちゃんが何かを私に聞いた。が、その英語が全く分からないのだ。あせるね、これは・・・。脇のK氏はこの受難を横目で見ながら知らん顔してるし、後のお客の列は長くなるし、最低の状況。おねぇちゃんはあきれたようにメニューを取り出し「レギュラー」に「デカフェ」(カフェイン抜き)の文字を交互に指差したところでやっとその質問が理解できた次第。言いなれた言葉を早口で聞くのは難解だ。
これも昔話だが、我が奥様と初めてハワイに行った時の事。気のきいたレストランで食事をしたと想像あれ。愛する奥様の為にサラダを注文、その後のウェイトレスさんの早口言葉がこの時も分からず何度も聞きなおす。それでも分からなかった私は彼女の哀れに満ちた目にショックを受けながら「もういいです。」といじけて言ってしまった。目の前に運ばれたサラダを他のテーブルのと見比べた後我が奥様はつぶやいたね。「このサラダ、ドレッシングがかかってない。」くしくもこの後の奥様の発言とK氏の発言は同じ。「アンタの英語もたいしたことないネ。」だった。
さて、出会いの方だが、ショットショーの会場で出展していたSHOOTマガジンの編集長、フィンク氏と元ワフダ(World
Fast Draw Association)・チェアマンのカル・エルリッチ氏(97年に来日)と友人だったことが話をしていたら分かって、また一つ友達の輪が広がった事。SASS(Single
Action Shooting Society)の会員番号51、ワイルド・ショット氏と再会した事。イーグル・グリップ社社長、ラジ氏との親交を深めれた事。ホルスターメーカーとして有名なギャルコ社・営業べス嬢に「当社のディストリビューターになりなさいよ。」と言われた事。などなど、数多くの出会いがあった。
その中でも向うで特にすごいと言われた出会いを紹介しよう。
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ショットショーはラスベガス北に位置するコンベンションセンターで開催され、毎日私はMGMグランドホテルから出る無料シャトルバスで行き来した。何と言ってもタダだからネ。二日目の朝、寝過ごして遅い朝食を取り、のんびりとこのバス停に着いた。もちろんバスはなく、ただ白人と黒人の二人が所在げに立っていて、私は一番話し掛けやすそうな白人に声を掛けた。「あの〜、ショットショーへのバスはここへ来るんですよネェ?」彼は「私も先ほどから待っているんだけど多分来ると思うよ。」との事。安心して待つことにしたがそれから延々30分待ってもバスがくる兆しが見えない。そのうちにその白人はつぶやくように「こりゃ、待っても来ないな。タクシーでも探すか。」といいつつバス停から歩いて行ってしまったではないか。残ったのはバス停から少しはずれた所に立っているちょっとヤバそうで黒人のボディガード風な人だけ。しばしの沈黙から、彼のほうから声を掛けてきた。落ち着いた声でゆっくりと「どうやらバスは来ないようだから一緒にタクシーで会場に行こうか?」と言う。内心はどっか変なところに連れて行かれないかなぁとか思いながらも拒否できない彼の雰囲気(だって、怖そうだったもん)が、私に「オーケー」と言わしめた。
タクシー乗り場まで彼は自分の事は一切話さず終始私への質問。「私の仕事のこと」「ショットショーに何をしに行くのか」「日本のどこから来たか」「家族構成」など明らかに私を犯罪者のように質問、というよりありゃ尋問だね。
やっとタクシー乗り場に着いたら長蛇の列。彼と最後尾に並んだところで彼に声が掛かった。前方に並んでいた白人が呼んで彼はそちらの方にまた歩き始めた。私はというとどうしたらいいか分からずその場に立っていると、その彼は私を手招きする。列の前に割り込んだことでかなりの時間短縮になった。タクシーの順番が来て乗り込む。私はドライバーの横、彼ら二人は後部座席へ。車が動き始めてまもなく後席の二人は突然声をひそめた会話に変わった。なんか、いやだなぁ。と思いながら漏れ聞こえてくる会話に注意していると「assasination=暗殺」の単語が聞こえてきた。ややっ、やっぱ彼はやばいぞと真剣感じた次第。果たして彼はボディガードか殺し屋かそれともマフィア?やっと、無事にコンベンションセンターに着いて一安心。車を降りて素早くバイバイすべくそそくさと別れを告げると「ちょっと待って」と言う。手には一枚の名刺がありそれを私に渡そうとするではないか。「殺し受け賜ります、なんか書いてないよなこの名刺」とか思いながらおずおずと受け取ってその名刺を見て驚いた。U.S.シークレット・サービスと記されているではないか。明かせないが名前の上には「counter
sniper team
=対スナイパーチーム」とある。そうか、あの会話での「暗殺」はこの仕事からか。もう少しで一生、誤解したままの出会いだったかも知れなかったなぁ。気を取り直して私も名刺を渡すと握手をしながら東京に行ったら連絡すると言われた。ジョークのつもりで「大統領と?」と聞くとマジにうなづかれちゃった。
会場に戻ってアメリカ人の友人に話をしたら「この名刺は貴重だよ。彼らはめったに自分達の素性明かさないからね。」と言われた。今度大統領が来日したときには大統領の取り巻きに注意してみよう。今回の一番の出会いだった。
もうひとつおまけ。これはハプニングとは言えないが、ホテルのビデオで映画「オープン・レンジ(2003年。配給:ブエナ・ビスタ・ピクチャー、製作:タッチストーン・ピクチャー、原題:Open
Range)」を見た。
ケビン・コスナー、ロバート・デュバル、アネット・ベニング出演の本格的西部劇だ。昨年全米で公開され、こんなにもいい俳優さんを揃えた映画にもかかわらず日本では公開の予定はまだ無いのはとても残念だ。
カーボーイの生き様を描くストーリーは別として、出て来る銃と後半18分に及ぶガンファイトシーンが私だけでなく、ガンファン、西部劇ファンには見逃せないものとなっている。ロバート・デュバルの老カーボーイが持つレミントン1875や有鶏頭ダブルバレルショットガン、チャーリー役のケビン・コスナーが持つS.A.A.アーティラリーとキャバルリーの2丁、ヤングカーボーイの持つウィンチェスターM73ライフル、ガンファイトシーン最後にあるデュバルと悪人役のそれぞれ持つ銃(レミントン×ピースメーカー)の撃ち合い、他にオクタゴンM73、M66イエローボーイ、デュバルのクロスドロウタイプのオールドホルスターや、つばの狭いウェスタンハット・・・・。もうたまりません。もし、万一、ひょっとして日本で公開されたら見るべし。私一押しの西部劇映画だ。
【2004年3月21日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |