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第20話 2002オールジャパン・ファストドロウ・チャンピオンシップ・ミニレポート

スポーツと評価される為の要件とは何だろう?確固たるルールが存在するかどうか、競技性があるかどうか、そして安全性が担保されているかどうかが一般的にスポーツとしての要件だそうだ。その範囲ではファストドロウは充分にスポーツと言えるのではないだろうか。
いつも私が皆さんにアピールする「世界で一番早く決着がつくスポーツ」として・・・・。
さて、2002年11月3日(日)、4日(月)川口市太陽サパールにて開催されたオールジャパン・ファストドロウチャンピオンシップ・イン・トーキョーを恒例にてミニレポートする。今回のチャンピオンシップには従来と違った新たな変化が数多くあった。その変化とは「女性シューターの進出」、「マスコミ取材」、「インターナショナル」。ある意味この3つによって今後の人口増が占えると言っても過言ではない。昨年の女性シューター参加がゼロだったことを考えると今年は6名の女性シューターが参加した。一般に女性シューターと言うと「大会の花」と言う捉えかたでしかなかったのだが今回は違った。ただ参加などではなく全ての女性シューターが感嘆すべき好成績をあげた事だった。ひょっとしたらファストドロウというスポーツは女性向なのではと考えさせられたものである。
また、本場米国から二人のシューターが参加した。ラルフ、カーラ・ハウエルのご夫妻だ。実は今回は4名のアメリカンシューターが参加する予定だったのだがバショウご夫妻が都合で出れなくなってしまった。
残念だったが大会終了後には2003年は必ず我々も含めて最低4名は出場するとハウエル氏が宣言した。従来の大会にはカル・エルリッチ夫妻、ゲーリー・トライアン夫妻、とビッグネームがゲストで参加した。しかし彼らはシューターとしては参加しなかった。今回のラルフ夫妻はシューターとして参加したわけで日本のファストドロウの実績が認められたと考えてもいいだろう。
最後にもっとも特徴的だったのは数多くのマスコミ取材があったことだ。この理由はあながち東京で開催されたからだけではないと思える。2002年にウェスタン流行の兆候が見えた。特に女性ファッションではフリンジ付のベストやウェスタンシャツの組み合わせ、テンガロンハット、ブーツなどなどこの会場に来たらそのベストコーディネートが一杯見れたと思う。事実、女性ファッションとファストドロウをリンクさせてのマスコミ取材が去年は多々あった。その意味では今年もファストドロウの動向がとても興味深い。さて、会場の模様は写真で楽しんで欲しい。
なお、このレポートの詳細は「アームズマガジン2003年3月号」にて掲載される予定。

【2003年1月12日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

会場に響く爆裂音、飛び散るバルーンの破片。これこそがファストドロウの醍醐味。4名のシューターが並んで挑戦。
開会式で挨拶をするラルフ&カーラ・ハウエル夫妻(中央2人)。ワフダ日本支部長のコルト山田氏(左端)。WFDAジャパンのTex松本氏(左二人目)。関東支部長のMac織田氏(右から二人目)。MCはMick遠藤氏(右端)。
私もスポンサーの一人としてご挨拶。
総合優勝のマック織田氏。堂々の優勝だった。おめでとう!!写真はダブルバルーン日本記録0.408達成の瞬間。
総合入賞の5名、上列右から準優勝エース嶋田、優勝マック織田、3位ヒデ野々村、下列右から4位ドク堀、5位ドク下水流、全員ツーハンドシューター。

コンテスト恒例の集合写真。さすが東京大会とあって精鋭65名のシューターが参加した。
 
今回はテレビの取材が2局もあった。
気を吐いた女性シューターの面々。左からユリ森本嬢、ノリコ小浜嬢、カーラ・ハウエル、リル白川嬢、レディ廣井嬢。実は写真には写っていないがミリー伊藤嬢を入れてなんと6名の女性シューターの進出だった。
コンテストの結果集計の間にカントリーダンスのデモンストレーションを楽しんだ。
わざわざ本場アメリカから参加のハウエル夫妻に感謝の盾が贈られた。大会では当社のFDC(ファストドロウカスタム)を使用していただいた。
ピーメイ・クラブ全員の記念写真。

第19話 ファスト・ドロウ定例会

わが社の名古屋店、東京店でファスト・ドロウの定例会が開かれているのはみなさんご存知だろう。ホームページにもコーナーがあって写真や動画をご覧いただけるようになっている筈だ。今回の独り言はなぜ私がファストドロウに傾倒したかをつぶやいてみたい。
最近は東京店の定例会に出る事が多い。いつものメンバー以外にはじめての人が参加する現象がここ数ヶ月続いている。それもほとんど5人以上だ。私たちがファストドロウの効用をあらゆる機会を捉えて連呼するからだろうか?。小学生からかなりの年配の方たちが初参加する。
2002年7月27日(土)に行われた定例会の模様を撮影した写真を掲載してみた。
初めて参加された人たちにルールや進行について説明している写真を中心に選んだ。
この日初の参加者は大学生4人に往年のウェスタンファン一人だ。説明するのはピーメイ・クラブ東京支部長のミック遠藤。彼はファスト・ドロウがより社会的に認知される事をいつも考えてくれている。その動機はとてもピュアなところにある。自分のファスト・ドロウの技術向上、功名心なくほとんどボランティア、縁の下の力持ち(実際に力持ちだが…)に徹しきってくれている。ここで彼に心から感謝を述べておきたい。
いつも思うことだが人は一人で生きていけない。何かの支えが必要と思う。こうやって徐々にではあるが我々の活動が世の中の人々に理解されようとしているのは彼のような支えがあるからだと思う。
さてなぜ私がファストドロウに傾倒しているかの理由だが、本来私がイベントなどでいうファストドロウの効用、若い人には反射神経のトレーニングに、中年の方にはボケ防止に、女性にはダイエット効果期待に(?)ということとは無関係だ(当たり前か)。しいて言えばピースメーカーというガンが好きだからだ。答えになってない?それはこれからの説明を読んでからにして欲しい。
ピースメーカー、コルトSAA45という銃は何度も言うようだが1873年に製造が始まった銃だ。そしてその昔の西部のガンマンは自分のピースメーカーを自由に操れるように練習したに違いない。平和を作るために銃を使うのは当時のいやアメリカの歴史そのものだからだ。突然に話は飛ぶが最近の車は面白みがないと人は言う。それは誰もが平均以上の運転操作が出来るように作られているからだ。運転する当人の高度な運転技術を求めなくても運転できてしまう。そんな味気ない車が受け入れられるのが現代だ。たとえ、車とは言えその車を運転する以上その車との関わりが大切に思える。つまり、ピースメーカーも使う人間によってピースメーカー本来の機能や力以上のものを引き出すことが出来る。それは道具だからだ。そこにはピースメーカーとの対話が必要になってくるに違いない。このように書くと皆さんは私のことを変に思うかもしれない。でも、これは漠然と子供の頃からずっと感じていたことだ。自分の持っているピースメーカーと協力してより上の結果を出す。そこにファストドロウの究極のテーマが私にはあると思っている。
私は物にこだわる。特に古いもの、骨董が好きな理由は物とその物を所有した人との歴史に興味があるからだ。そして物とそれを所有した人との関係に興味がある。人はその物を愛したのか。いつか、飽きてしまったのか。この傷はいつ、どんな時に、どんな状態で付いたのだろうか?。そんな思いをめぐらすだけで楽しいのだ。
ピースメーカーとの関係を大切にしている人間が私の周りにいる。そう、我がピーメイ・クラブ会長のマーク渡辺だ。彼は心底、ガンマンとして生きたいと願っていることをみんなは知っている。ピースメーカーをコレクションとして後生大事に抱えている人に伝えたい。ピースメーカーだからこそ使い込んでその能力を引き出してあげることが所有する人の愛情ではないのだろうか?

【2002年10月10日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

初心者へのレクチャーに忙しい、ミック遠藤氏。彼なくして、東京店のファストドロウ大会は成り立たない。
銃の持ち方や、操作法など、一から丁寧に教えてます。
早速実践。タイムは?
何とかバルーンはわれました。
レギュラーメンバーのシュート風景です。今回の写真は彼(JIN)が撮影しました。
 
同レギュラー陣。この日は本格的な夏日でした。
同レギュラー陣。初心者の手本となったかな?
同レギュラー陣。彼のようにツーハンドシューターも増えている。
再度、初心者へのレクチャー。復習も忘れずに。
バルーンの高さ調整をしています。モデルはコネティ加藤(笑)。

第18話 我らの食卓

前々回に東京進出を書いたがこの頃から私の東京単身生活がはじまった。目黒からここ吉祥寺に移転してからも私の単身生活は続いている。本来のテーマに関係無い話題なので興味の無い人は無視してくれれば良い。
今回は名古屋でそして単身生活をしている吉祥寺で私がよく面倒を掛けている「食卓」を紹介したい。
名古屋の食卓である「コーヒーショップ西部」はピーメイ・クラブホームページででも紹介されているのでご存知の方も多いと思う。お店の壁面には当社のSAAシリーズやカタログなどが掲示されている。もちろん、私やマーク渡辺、エージェント向川の勇姿(?)をおさめた写真も飾ってある。入り口入ってすぐの壁面上部にはオールド・ベッツィーと呼ばれるフリントロック・ライフルが飾ってある。これは一見に値するものだ。以前は夜12時頃まで営業していたのだが、いまは9時で終業になってしまい私がお邪魔する機会がめっきり減ったが土曜日、日曜日には我がクラブメンバーが集まっている。特にピーメイ・クラブ副会長、ワフダ中部支部長のマッキー立木氏はほぼ毎週土曜日、夕方には「西部」にいると思う。興味のある人にはぜひ立ち寄ってもらいたいお店だ。
また、東京店での常連の方がやっていらっしゃるお店が京王井の頭線、富士見が丘駅にある。店名が「キッチンハウス」。和食を中心としたメニューがずらっと揃っている。店主さんはもうン十年来の当社のお客様。勿論ピースメーカーファンだ。うまい食事をしながら鉄砲談義が出来るお店はめったに無い。
私も東京での単身中は東京店の店長であり当社営業部長の井守(彼も単身赴任。ウェスタンネームはケイ・井守)と一緒にちょくちょく利用させてもらっている。このタイトルを「我らの」としたのは私とケイの単身生活も支えている事の意味を含めてそうしたものだ。
そういった意味で我々の昼食を一手に引き受けてくれているお店も同時に紹介しておきたい。キッチンハウスはもっぱら夕食に利用させてもらっているがこちらは昼食でお世話になっている。店名は「コペ」さん。変わった店名だがその由来については聞いたことが無い。私が吉祥寺に来た当初からお世話になっている。お店は若草物語のような女性4人(?)でまかなっている。今年の夏もとても暑かったが、我らが夏バテしなかったのはこのお店のメニューに拠るところが多いと思える。今夏は数あるメニューから「麦とろ」や「ゴーヤチャンプル」を頂いたからだ。そういった意味で我々の健康をも支えてくれたと言っても過言ではない。食欲が無い折にはメニューにない冷麦やおうどんを、のど越しがよいからといってわざわざ作ってもらったりもした。お店のママさんから冗談でケイと私に4人もの奥さんが東京に出来て良かったねと笑われている。今回は趣向を変え特別編(?)をおおくりした。
個々のお店の電話番号も記しておいた。ぜひ、利用してあげて欲しい。

【2002年9月14日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

コーヒーハウス「西部」
(名古屋市瑞穂区)
電話052-883-0818
【西部】入ってすぐインディアンが出迎えてくれます(笑)。
【西部】これがオールドベッツィー。デビー・クロケットが使用したフリントロック・ライフルのレプリカが飾って有ります。
【西部】当社のSAAキャバルリーやアーティラリーなども飾ってあります。
【西部】ピーメイクラブの面々の写真や、忘年会での写真が飾ってあります。
キッチンハウス
(東京、富士見が丘)
電話03-3332-5223
 
【キッチンハウス】カウンター。オーナーにピースメーカーの話題を振ったら最後。閉店までつき合わされるかも。
【キッチンハウス】お店の中はこうなってます。
コペ
(東京、吉祥寺)
電話0422-21-6441
【コペ】和子さん、友子さん、さかえさん、ときえさん、いつもお世話になってます(笑)。若草物語ならぬ4人の美女にて運営されてます。
【コペ】ママさん近影。お袋の味はここから生まれる。
【コペ】ゴーヤチャンプル定食。こんなに色々ついて700円。お値打ちです。美味しそうでしょ、、、。

第17話 名古屋マカロニ大会に出て

8月3日、中日シネラマ劇場(名古屋市中区)にて「名古屋マカロニ大会」に参加した。
唐突にマカロニ大会と言われても理解してもらえないだろう。マカロニ・ウェスタン映画ファンの方々の集まりである。初めての参加であったがマカロニ・ウェスタンのコアなファンというかマニアの皆さんとの交流は楽しいものだった。もちろん名古屋でやるのに参加しない手はない。実は今回出席して初めてマカロニウェスタンの俳優、というか怪優の「トーマス・ミリアン」を知った。それだけでもかなりの収穫だった。我々ファスト・ドロウ関係者は名古屋にベースを置くピーメイ・クラブ、東京から参加したペイルライダーズの各面々だった。パーティでは独自で行われたファストドロウにも参加したがルールにとらわれず、やるファストドロウには結構新鮮な感覚で取り組めた。いつもイベントでは美技を見せてくれるマーク渡辺(ピーメイ・クラブ)、トルネード吉田(ペイルライダーズ)の二人のガンプレイは参加者にかなりの衝撃を与えたのではないだろうか?
マカロニ・ウェスタンというと私のコーナーで書いたマリア・ウベルティ女史の事が思い出される(第9話参照)。米国・ラスベガスで開催された全米一のガンショー「ショットショー」での出会いについて書いた。彼女がマカロニウェスタンの名作「荒野の用心棒」誕生の歴史の証人と書いたがその詳細をマカロニ・ファンの方々の為に書いてみた。この内容は米歴史家、R.L.ウィルソン氏の著作「ピースメーカーズ」の補足ページにある部分を簡約した物である。詳細に興味がある方は上記洋書を参考にされるとよいだろう。

【訳文】
娘、マリア(イタリアの銃器メーカー、アルド・ウベルティの米法人ウベルティU.S.A.の現社長)の回想:私がおそらく6歳か7歳の頃、セルジオ・レオーネ氏が私の家にやってきた。彼が製作する映画の「特別」な銃を発注する為に来たのだ。"A Fistful of Dollars"(英文原題、日本版タイトルはご存知のとおり「荒野の用心棒」)、多分それで使用するための銃で私の父とレオーネ監督は数時間掛けていかに加工するかを話し合った。

母の記憶では最初の発注が8万ドルというかなりの金額だったそうだ。そのフィルムの後、新たに大きな発注があった。"The Good, The Bad and The Ugly"(英文原題、日本版タイトルは「続・夕陽のガンマン」)での南北戦争のシーンで何百丁という数の銃が用意された。
私たちの銃を使った事で、全てのイタリア製ガンを西部劇で使用するという扉をあけ、それ以来私たちは数多くの映画に銃を供給してきたのです。

今年の2月のラスベガスショットショーのウベルティブースで出会ったマリア本人にこの本の話を読みましたよと言ったらとても喜んでいた。写真(下と、第9話参照)を見ればわかるように若くてとてもきれいな人だった。

もうひとつマカロニ大会に出て気が付いたこと。
これはとても銃には関係の無い話なのでガンファンの方で興味の無い方は飛ばし読みをお勧めする。・・がこの機会に書いておこう。今回のマカロニ大会のパンフレット、MIB3(メンインブラックじゃなくマカロニ・インタビュー・ブック3だそうだ)を読んだからだ。それは「荒野のドラゴン」主役のチェン・リー(早川明心)さんのことである。パンフレットのかなりのページを割いて書かれている早川さんは、その昔(ん十年前?)私がいた空手道場の大先輩だった。私は名空会という名古屋では大きな道場にいて当時の成田師範に師事していた。流派が和道会で早川さんはその和道会の大先輩であった。私たちの道場にも教えにみえた事もあり実際、型の試技を目の前で見せてもらったことがあった。この項を借りてお礼を述べたい。雲の上の先輩、早川さん当時は有難うございました。

【2002年9月13日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

トルネード吉田氏のガンプレイ、ちょうどシルバーのピースメーカーをトスしているところ。
同じく、ピーメイ・クラブのガンマン、マーク渡辺のガンプレイ。トルネード、マークのガンプレイは参加の皆さんに衝撃を与えたとおもう。
ビーメイ・クラブのドク太田、マーク渡辺と私。
ピーメイ・クラブ・メンバーと東京から駆けつけてくれたペイルライダーズの面々でマカロニ流ファスト ドロウを体験。
初めての方も、初めてじゃない方も、ルールを知っている人も、知らない人も、多くの人が参加して盛り上がりました。
 
マカロニ大会での会場内風景。
2002年2月米ラスベガスで開催された「ショットショー」でお会いしたマリア・ウベルティ女史(現米国ウベルティ社社長)。
MIB(Men in Black じゃなくて、Macaroni Interview Book)3 の表紙は、「荒野のドラゴン」チェン・リーこと早川明心さん。早川さんの特集が掲載されていました。
おなじく、MIB3の裏表紙。早川さん以外にも、クリント・イーストウッドや、イーライ・ウォラック、クレイグ・ヒルなどマカロニファンお馴染みの俳優のインタビュー記事が掲載されていました。

第16話 ハートフォードが出来た頃の昔話−東京進出

東京に出店したのが1988年10月29日(土)。
当初は目黒のマンションの一室がそのスタート。忘れもしない朝日目黒ビジネスマンション7階がそのスタートだった。
この頃の目黒は御徒町に次ぐモデルガンのメッカとも言われていた。JR目黒駅前には「コクサイ目黒ガンショップ」があり、その反対方向には「東京ガンシップ」、権之助坂を降り切ったところには「アングス目黒店」。そして当店は「コクサイ目黒ガンショップ」から北東、目黒通りにそって歩いて4分、上大崎交差点角のマンションにあった。目黒はガンフリークスにとっては買い物をするだけでなく各店を回ってウインドウ・ショッピングを楽しんだり値段の比較が出来たりとそれは便利なロケーションだった。
この頃のハートフォード東京店を知っている方はよほどのモデルガンファンかピースメーカーマニア、それも筋金入りかな?と思われる。
狭いながらも楽しい我が家という歌(今の中年おじさんがかろうじて知っている曲です)があるが、あの頃は自分の力がどのように東京で評価されるかと、わくわくしてお店を構えたものだった。
東京進出する数年前にそれを決心させる象徴的なイベントがあった。東京タワーの下で開催されたイベント(展示即売会)がそれだ。
それまではその頃の広告でも分かるようにピースメーカーを始めウェスタン系のモデルガンカスタム、特にメッキカスタムを手掛けそのファンの方たちから支持されていた。ところがこの頃から始まったエアガンブームに乗ってわが社もエアガンのメッキカスタムに手を出し始めたのだ。MGC459ロイヤルブルー、コクサイM16リアルブルーといった調子だ。これらが実際に各専門誌に取材されその結果当社のブランドは名古屋から次第に全国的に知られるようになっていったようだ。初めて参加したこの東京のイベントでは当社のブランドが浸透していたのか、とてもいい成績(ビジネスが)だった。そう、この好結果が東京進出の一番のきっかけとなった訳だ。ところがこちらの経済的理由からマンションの一室にならざるを得なかったのだが、お客様から見ればとても「ヤバイ」雰囲気のお店だったそうだ。現在でも東京吉祥寺に顔を出してくれている昔からの常連は口を揃えて言う。
「とにかくメチャクチャ入るのに勇気のいった店」だったそうだ。
あの頃の目黒店には入ると出れなくなるのではと思わせる雰囲気が充分にあったらしい。ただ、一方ではそんな店構えだからこそ他では手に入らない極上のカスタムに遭遇できるのではと考えていたファンのひとも多かったようだ。もっと言ってしまうとご禁制のものが入るのではと信じて来店したよからぬマニアも居たらしい(失礼な!!)。自分で言うのも何だが、あれほど怪しげなガンショップも無かったのではと思える。と同時に東京中探しても、うちほどカスタム中心で面白いモデルガンショップは無いと思っていた。会社挙げてかなり積極的にカスタムを作っていたからだ。
数年してこのマンション7階から移転した。1992年8月5日のことだった。
新しいお店は目黒駅東口から徒歩2分の好立地で目黒通り沿い、ガラス張りの高級店風であった。このお店には色々な思い出がある。また、このお店を支える為に数多くの人々が関わってくれた。頑張ってくれた歴代のアルバイト諸君のO君、W君、K君、Y君、I君、U君、T君達にこの項を借りて感謝したい。
さて、第2の御徒町と言われた目黒(私が勝手にそう思っていただけだが…)にも秋風が吹き始めた。バブル以降の事だ。何年かは定かでないが「コクサイ・ガンショップ」が本社のある大田区に移転し、「東京ガンシップ」はミリタリーグッズに力を入れることになった。徐々に目黒というロケーション・メリットが薄らいでいった。目黒のショップテナントの契約が切れる1998年に現在地、吉祥寺にお店を移すことになった。移転は1998年9月5日だった。フロンティアスピリットよろしく西部へ、西部へ移動しますとあえて移転先を明かさず広告コピーを書いた記憶がある。吉祥寺は若者の町と言われる反面、文化の香りもする独特の町である。個人的には学生時代に4年間住んだ「京都」に通じるところがあるように思えて愛すべき土地だ。さて、ここまでが我がハートフォード東京店の軌跡である。目黒のマンション7階から始まって吉祥寺のお店まで無数の出来事や出会いがあって現在に至っている。それら全てに感謝すると同時に今後も我が東京店にエールを送ってくださるようお願いしたい。

【2002年9月12日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

東京進出!!。当時の当社広告(雑誌GUN88年12月号)。エアソフトガンのメッキカスタムで認知された頃。もちろん、ピースメーカーのカスタムも細々ながらやっていた頃だ。
東京店出店のパブリシティ(雑誌GUN89年1月号)。写真は私。若いでしょ。
当時の当社広告から(雑誌GUN誌92年9月号)朝日目黒ビジネスマンションから脱出。JR目黒駅寄りの路面店に移転。
 
その店舗風景。ガラス張りの明るいお店でした。
吉祥寺移転のお知らせ広告(98年10月号)。
当社東京店(吉祥寺)店内風景。ご来店お待ちしております。

第15話 コリアン・シューター「ドルフ」からのメール

前回、アジア各国のトイガン事情について書いた。次は韓国の事情をお話する約束だった。今回の独り言はその韓国から来た一通のメールから始まるお話を取り上げてみた。いわば快挙ともいえるつぶやきである。写真が少なく長文で読みづらいと思うがピーメファンの人にはぜひ読んで欲しい。

韓国からメールが届いたのは2002年6月3日。その書き出しは
こんにちわ、私は韓国のウェスタン・マニアですが・・・。
(Hello, I'm KOREAN western mania..)
というものだった。
彼の名前はドルフ。プライバシーを心配して原稿にすることを相談したらファストドロウの発展のためなら全てオープンにしてもいいと返事をもらった。今回はファミリーネームを抜いて原稿とした。
ドルフの最初のメールはタナカ社製のガスガンSAA用のグリップについての問い合わせだった。本来、当社はホームページの頭に表示しているように日本国内だけが対象のページとなっている。そのため海外からの問い合わせや注文には残念ながら「Domestic Japan only(日本国内だけです)」という返事をしている。ましてや他社製品についての問合せだ。がしかし、この頃、ちょうど香港、台湾から帰ってきたあとでアジアのトイガン事情、ファストドロウの普及の可能性などネットに出す原稿を書いていた。ドルフのメールを見て韓国では一般におもちゃの銃、遊戯銃が果たして認められているのだろうかという疑問が浮かんだ。一番の興味は韓国のトイガンはどのような扱いを受けているのかで、それを知るいいチャンスとばかりに彼とのメール交換が始まった。
題して「コリアン・シューター、ドルフからのメール」だ。

彼にメールで韓国でのトイガンの扱いを聞いたがその答えはおおむね次のようだった。
韓国、ソウル市内には約20店舗くらいのガンショップが有ります。ただ、必ずしも認められて営業している訳ではありません。韓国の法律はトイガンに対してはとても厳しいです。多くのファンが法律の緩和を求めているものの道のりは険しいです。トイガン(ファストドロウを含めての)マーケットはとても大きいものと考えられます。将来ファストドロウがスポーツの一つとしてマーケットに認められる日を待っています。
(Anyhow, we have about 20 shop in SEOUL (about 30 shop in KOREA), but they are almost not permitted and in a small way. You know, KOREAN law for toy-gun is tight very much now. Many of mania and the persons concerned are push and push, but there has no progress yet.
I think that toy-gun (included fast-draw) market is not small but the law is always question.......中略。
I want, hope that market will be opened and fast-draw keep a position as one of sports in KOREA.)

以降、何度かメールの交換があった。途中でサッカーワールドカップがあった為、メールのほとんどがお互いの国のチームを称えあうものになっていた。良好なる日韓関係構築だ。その間はお互いの本来の用事は棚上げ。メールの一部紹介をすると…。

6月14日ドルフ発
今日は日本と韓国にとって歴史的な日です。日本は決勝戦に進むと思いますが韓国は…。ポルトガルはとても強いチームです。どちらも決勝戦に進めることを願っています。
(Today is historical day for Japan & KOREA.
I think Japan team will almost enter the final tournament. Congratulations!!!
But KOREA team ........hmmmmm. not so easy... Portugal is very strong team... I hope we go to final tournament together..)


6月15日ドルフ発
加藤さん!!おめでとう!!!韓国と日本がベスト16に残ることが出来てとてもうれしい。ともにお互いのクラスのトップに行きましょう!!
(Dear Kato,
CONGRATULATIONS!!!!!!!!!
I'm happy cause Japan and Korea enter best 16 teams together!! And also top of each classes!!!)


私もこのようなメールを送った。
6月16日コネティ発
ドルフへ。メールありがとう。ベスト16に韓国と日本が残れてうれしいです。次はイタリア戦ですね。良い結果が出ることを願っています。
(To Dolph,
Thank you for sending mail. And I am very much happy that both Korea and Japan could enter best 16 teams!! In next game, you have to match with Italy team. Hope you could get successful result!)


日本が負けた後には、
6月19日コネテイ発
ドルフへ。おめでとう!!韓国がベスト8に入ることが出来て。知っての通り日本は勝つことが出来ませんでした。しかし、我々はブルーユニフォームの戦士を誇りに思い彼らへの拍手を惜しみません。今日からは我々は韓国チーム、赤い悪魔を応援します。そして韓国がアジアンスピリットをもって最終戦に行ける事を願っています。
(To Dolph,
Congratulations!!
Korea could survive among best 8 team. As you know, Japan team could not win.
However we all Japanese people proud of blue worrier and clap hands for them. From today all Japanese people support Korean team, red evil. We hope Korea would run forward to final match with a Asian spirit!!)


その返事では
6月24日ドルフ発
加藤さん、親愛なるメールありがとう御座います。明日、韓国チームはドイツと戦います。強いチームです。しかし私を含む全ての韓国人は赤い悪魔を応援します。横浜に行かなくては!!
実は興奮しています。試合中はデーハンミングと叫んでください。(5回手をたたいてください。)日本からのサポートに感謝します。
(Dear Kato,
Thank you so much for your kind mail.
KOREA team will fight with German team tomorrow... wow!! so strong team you know. But I and all of KOREAN will cheer a our team, Red evils, too.
Let's cheer Korea team with me!!
We hope, want and must go to Yokohama!!!!!!!! ^^; I'm in excited condition...
Please shout in the game, DAE~HAN MIN GUK!!!
Chapchap^chapchap chap (5 times hand clapping)
*^^* Thank you so much for your Japanese's support. I don't forget it.
Thanks..
Dolph)


我々の友情はワールドカップの興奮とお互いの国を称えるというプロセスを経て培っていったように思う。それをもとにお互いの考えを交換する機会が増えていった。ある時私が送ったメールの一部を紹介すると…。

7月12日コネティ発
私がいつも言っていることを英文にしただけだが。
「私たちが子供の頃はテレビで数多くの西部劇をやっていた。ローハイドやララミー牧場などだ。それらの西部劇から私たちは正義とは?を学んだと思う。個人的には私の仕事は単にモデルガンやエアガンのピースメーカーを売っているわけではない。それにそのスピリット、フロンティア・スピリットをつけて売っている。そう考えて仕事をしている」みたいなことを書いた。
(When we were in childhood, there are so many TV western movies, such as Lawhide, Colt 45, Paladin, Lalamie, Rifle man, Wanted dead or alive, we studied what is Justice through these western movies. I personally think my job is not simply to sell products (SAA) but sell products with pioneer sprit. This is my Job. I always think so.)

それに触発されたかもしれないがある時、ドルフがわが社のファストドロウカスタムモデルガン(FDC)を買いたいと言って来た。しかしおそらく税関が許さないだろう。トイガンに対する韓国の法律が整っていないからだ。それでも手に入れる努力はしたいというメールだった。それで私は次の提案をしてみた。「こちらからFDCを送る。ドルフはそれを受け取る努力をする。万一、受け取れなければその場で受け取り放棄すればいい。もちろん、FDCはドルフにあげるつもりで送るのだから代金については心配しなくてもいいよ。」というメールを出した。私のピースメーカーに対する熱っぽい語りが与えた影響の責任も少なからず感じていたからだ。

8月12日FDCキットを韓国に送った。
そして彼のいばらの道はここから始まった。

8月19日ドルフ発
加藤さんへ。ウーーン。残念ながらFDCキットは私の手に渡っていません。郵便局はFDCはこちらで預かっています。しかし警察からの許可が必要です。でも私は努力します。あす、郵便局にいってFDCの様子を見てそして協会(?)にいってFDCを手に入れるためにどうすればよいかを相談してきます。もしダメな場合はそちらに送り返すようにします。その費用は心配しないで下さい。前に言いました。ベストを尽くすと…。いい知らせを待っていて下さい。良いファストドロウシューターになる為には長く、つらいことを経験しなくては…。
ドルフより。
(Dear Mr. Kato,
Hmmmm....
Unfortunately, FDC kit is not arrived to me....
Post office said, they just keep FDC but they need approval from Police. But I will do my best..
Tomorrow, I 'll visit Post office, check FDC condition, and contact association, and ask them what do I do for get FDC. If I can't get FDC, I will send back to you. Don't worry about cost.
I said, I will do my best.. please wait for good news from me. The way to be good fast drawer is so long & hard... ^^;;
Thanks,
Dolph...)

メールはほとんど毎日あった。途中、彼も何度かめげかけて自信を無くしていた頃もあった。私は彼を励ます為のメールを送りつづけた。メールは一日に何回もという日もあった。

同日ドルフ発
加藤さん。励ましのメールありがとう御座います。貴方の返事で気持ちが楽になりました。ベストを尽くします。サポートをありがとう。ドルフより。
(Dear Mr. Kato,
Thanks you so much for your reply..
I just say to you "Thank you....and I'm sorry...."
Your reply give me comfort...thanks..
OK, I'll do my best, so I'll never feel refuse for my effort. Thank you for your support...
Dolph)


8月20日ドルフ発
親愛なる加藤さん。次のことを教えてください。FDCは完成品ではない。そうですね?ではパーツがいくつ有るかを教えてください。昨夜と今朝、協会、警察、税関と交渉してきました。今の問題は製品がキットなのか完成品なのかです。キットの場合パーツが…。これからまた税関に行かなくては…。ごめんなさい。分からないことばかり言って。昨日から心配で寝てなくて…。眠いです。ドルフより。
(Dear Mr. Kato,
Please inform me as follows..
- FDC kit, not finished product, right? then, how many part make up this kit? (I don't see that kit yet.)
- If you can or If you have picture of FDC kit. (packing, each part in box.. not finished product..)
I was contacted association of gun safety, Police, Custom house yesterday evening and today morning..
Now, issue is finished product or assembly kit. In case of kit, how many part, ....
Today I will meet custom officer.. ,,,
Sorry for my incoherent talks... I stay up all night last night... @.@ so sleepy...
I'll be right back...
Dolph..)


8月21日ドルフ発
こんにちわ加藤さん。FDCキットを郵便局で見てきました。とても美しい…。でも私の状況はあまりかんばしくありません。税関が言うにはFDCはもう上の事務所に行ってここでは何の判断が出来ないとの事。では、どうしたら手に入れることが出来るのか?方法は二つ。警察から許可をもらうこと。しかしその場合、安全協会で許可を得ることが必要だ。でもそれにはとても大きな費用がかかる。警察に直接行って検査なしでの許可を求めようと思っている。それか送り返すか…。あと余裕は10日間。それまでは頑張るつもりです。ドルフより。
(Dear Mr. Kato,
Good afternoon..
I saw FDC kit today morning at Post office.
So beautiful gun...
But, my situation is not good.
A Custom officer said, that kit is already report to superior offices so he can't handle himself.
Then how can I get it? Solutions are two way..
One is, take permission from Police. but in this case, I'm needed permission of Safty Association.
But this inspection request cost is so expensive. So, I will meet with Police directly tomorrow and I will request permission without inspection.
The other way is send back........
I said " I will do my best!" I have time to spare about 10day.. If I can do , I will do!!
Even I recompencse for your kindness, I will do my best.
I will right back.
Dolph..
A SOLDIER ISN'T BORN.
HE'S MADE..
DOLPH)


8月22日ドルフ発
加藤さん。本日、また税関と交渉しました。彼らが言うには資料、証明書(FDCがただのおもちゃであるという)や公の検査機関からの検査結果、関西でのアミューズメントパークで使用されている(実名は避けた。)事などの情報を送ったことで昨日よりは状況は好転しているようです。ドルフより。
(Dear Mr. Kato,
I was contacted Custom officer today again.
He said, Documents - evidence (FDC kit is just toy) from manufacturer (Hartford), certificate from Japanese Public Safety Test organization, and your products are using at big Amusement park in Osaka. This response is better than yesterday. If you have any question or problem, contact me ASAP.
Dolph..
A SOLDIER ISN'T BORN.
HE'S MADE..)


韓国警察、税関、安全協会…。彼はほとんど毎日彼らと折衝をした。その努力はもはや努力と言うより執念とさえ思えた。メールの最後には必ず添えられていた言葉があった。兵士は生まれない。作られていくのみ…。彼の明確な意思の現れだったと思う。そしてここにも意思を曲げず進んでいくフロンティアスピリットを持った男がいたと断言できる。そして届いたメールのタイトルはなんと…。
I WIN!! (勝った!!)だった。

8月24日ドルフ発
親愛なる加藤さん。勝ちましたよ!!警察に、税関に、協会に!!。FDCを手に入れました。ありがとう!!どのように表現したら分からない位興奮しています。マニュアルを読んで、パーツをチェックして一晩中…。ありがとう御座います。このキットは一生大切にします。ドルフより
(Dear Mr. Kato,
Kato sang !!!
I won against Police, Customs and Association by a your favor. Thank you so much for your support.

I was wondered at my oratorial talent!! ^^----> almost fraud.....^^;
Anyway, thanks again for your kind present and support.
I'm still excited condition..

Read manual, check each part, take a photo, and read manual again, check part.....all night long...
Anyhow, thank you so much.
I will keep this kit whole my life.
Thanks.....
Have a best weekend!!!
Sincerely yours,
Dolph,
p.s - Please say thanks to your staff in Nagoya & Tokyo.
- I'm study Japanese hard.. please wait for our direct contact. *^^*
A SOLDIER ISN'T BORN.
HE'S MADE..
DOLPH,)


異例の長い独り言になってしまった。英文が中心の原稿で不満足な読者もいることだろう。それでも行の間からはドルフの苦悩が読み取れる。しかし彼は強い意志によってFDCを手に入れた。私の好きな言葉「 None but the Brave deserves the Fair 」(勇者のみが美女を得る)をそのまま実行したドルフにその姿を見せてくれたことに感謝したい。と同時に国が違えばこんなに世界が変わるのかを思い知らされた。たかだか、おもちゃと言うまい。そしてそのおもちゃで遊べる日本人の我々はなんと幸せで平和なのだろうと考えさせられた。
最後にI WIN!!の後に贈った私のメールを紹介してこの項の締めくくりとしたい。

8月24日コネティ発
いまドルフからのメール受け取りました。おめでとう。この成功を聞いて本当にうれしいです。今回の成功が韓国でのファストドロウファンが増える為の第一歩になることを願っています。
追伸。ドルフ、貴方はとても努力をしましたね。フロンティア・スピリット(開拓者精神)はそこにあると思います。数多くの障害を乗り越えて前に前に進んで行きましょう。ドルフ、貴方を尊敬し誇りにおもいます。
加藤より。
(Just now I received your mail.
Congratulation!! I am very much happy to hear this success story. I hope this getting be a precious step for expanding sport and sprit of Fast Draw!!
Enjoy my kit!!
Kato,
P.S.
You did a very good effort!! Frontier spirit is at there. We go forward with overcoming many obstacles!!
Anyhow I really think highly and proud of you.
TKS
Kato,)


【2002年9月12日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

ドルフから送られてきた写真。ハングル文字の意味は「これは安全なものではない」と書いてある。英文の最後にドルフが書いた I'm Winner!! (私は勝者だ)が彼の気持ちの全てを語っている。
 
ドルフがFDCを手にした写真。間違いなく勝者の顔だ。ファストドロウ発展の為なら実名を出しても顔写真を出してもかまわないと言い切ってくれた。

第14話 台湾おもちゃショー雑感

7月は、台湾と韓国に出張した。
最近、アジアのトイガン事情が面白い。そこでアジア、特に台湾、香港、韓国について思ったままをつぶやいてみたので興味のある人は読まれるとよいだろう。
まず、表題のとおり、台湾おもちゃショーにトイガン、とりわけ日本製のトイガン、多くはエアソフトガンが出るというので、かの国のトイガン事情を視察すべく7月3日から4日まで台北に行った。
従来は台湾のトイガンは銃身やスライドなど赤くしなくてはならない法律か規則だった。だが、今回、台湾のガン雑誌のレポーターから話を聞いたのだが、今年の2月と6月に法律が変わって原則的には自由になったそうだ。また、モデルガンについても、販売できなかったのがこの法律の改正で輸入・販売することが出来るようになったとの事だ。現地では日本のガン雑誌は特に読まれているようで、このトイガンブースにて目ざとく雑誌社のレポーターに見つけられインタビューとあいなった。テンガロンハットにブーツ、ウェスタンシャツで行けば当然か?
インタービューでは日本のサバイバルゲーム黎明期に起こった無益な威力競争を台湾で起こしてはならないことなどを強調した。もちろん、私たちが目指しているスポーツとしての「ファストドロウ」についても語った。多分かなり熱くお話したのではないだろうか?
日本だけでファストドロウの普及促進をしていると気がつかなかったことだが、アジア全体に目を移してファストドロウを考えると米国生まれのファストドロウというよりも日本で醸成されたファストドロウのアウトラインが見えてくる。

それは、なんと言っても銃が許されていないアジア各国で出来るスポーツとしての銃競技だ。ここ8年くらい当社がピースメーカーをリリースしてから以降積極的に取り組んで一定の評価と市民権を得た日本でのファストドロウは、ある意味でやはり実銃の許されていない台湾、香港、韓国で一種お手本になるのではないかということだった。今後、どういった方向からこのファストドロウ普及促進活動が出来るかは今の段階では未知ではある。ただ、台湾でも、香港でも、韓国でもおもちゃの鉄砲で遊ぶことは一種の文化である。その共通認識からひとつの提案型のスポーツ、競技、遊びが形作られるのではないだろうか?
さて、最近だが東京のハートフォードが入っているビル屋上で毎月実施しているファストドロウ定例会が香港の一般雑誌に取り上げられた。また、香港のガン雑誌からの依頼で日本のファストドロウ事情について寄稿の依頼がありここ2〜3日前に原稿を送ったばかりだ。送られた香港のガン雑誌サンプルをみたがなかなかシッカリした編集をしている。全185ページ、カラー印刷、写真満載であり、当初はどんなものかと思っていたがページを開いてビックリしたものだ。今後、ファストドロウに関してアジアは目が離せない市場といえるだろう。
次回には韓国のトイガン事情についても書いてみたい。

【2002年8月15日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

台湾おもちゃショー 台湾おもちゃショーのチラシ。
展示ブース入り口 日本製エアガン、モデルガンが展示されたブースの入り口
展示ブース 壁には見慣れたモデルが並んでます。
 
展示ブース 決して日本国内のショーでない(笑)。
モデルガン このショーケースでは日本製モデルガンが紹介されていた。
香港のガン雑誌 香港から送られてきたガン雑誌のサンプル。

第13話 ちょっとおしゃれなキャトルブランドのお話

ここ数回は鉄砲談義から離れていたので少し軌道を元に戻したお話をということで今回はキャトルブランドのお話をする。

キャトルブランドとは?
私が最初にキャトルブランドと出会ったのはR.L.ウィルソン氏の「コルト・エングレービング」という本であった。かれこれ15年位前の事だと思う。ピースメーカーにびっしりとナスカの文様のようなエングレービングが彫られているのを見て、なんと奇抜なデザインなのだ、と思ったものだった。その時はそれほど気にもならなかったのだが、何度もこの本を見ているうちにこの模様が頭から離れなくなってしまったのだ。突然にふっと浮かんできたりするようになってしまい、こんなにも気になるこの模様は一体何なのだ?
ここから私のキャトルブランドへのラブ・ストーリーが始まった。ちなみにこのコルト・エングレービングにあったキャトルブランドピースメーカーの作者がコール・アギーである。ここでそもそもキャトルブランドとは何かを明らかにしておきたい。キャトルブランドとは西部開拓時代に牛に押す焼き印の総称だったのだ。それはカウボーイと密接な関係があったからこそあれほどにも私の印象に残ったのだろう。より詳細にキャトルブランドを知っていただくためここにキャトルブランドについてかかれている文を転用してみた。

「アリゾナのカウボーイ、エバンス・コールマンが言った事だが、『彼は読み書きも出来ないのに牛の焼き印なら文字でも模様でも分かるカウボーイを何人でも知っていた』そうだ。誰の物かということが一番大事だった牧畜業界で、焼き印こそは牛の所有者を示すものだった。

事実、牧場主たちはよく焼き印の名称を自分の牧場の名前にしていたし、中世の騎士たちが自分の紋章を誇りにしていたのと同じように、カウボーイたちもこの印を誇りにしていた。牛に焼き印を押す風習は、牛がアメリカにやってくるずっと以前から行われていたことで、今から4000年くらい昔のエジプトの墳墓にも、太ったまだらの牛に焼き印を押している絵が描かれている。1520年頃メキシコを征服したスペイン人コルテスは、いっしょに連れてきた牛に十字の印を押した。この習慣がスペイン系のバケロを通してカウボーイ達に伝わり、カウボーイたちはそれをさらに発展させて、無数の美しい印を作り上げた。」(タイムライフ社「大西部物語」より引用)
コルト・エングレービングの本に掲載されていたエングレービングの作者「コール・アギー」はダラス・フォートワース在住のエングレーバーである。彼は好んでキャトルブランドをピースメーカーに彫りつづけた。昔の西部劇ファンならご存知のワイルド・ビル・エリオット(写真参照)もこのエングレーブの入ったピースメーカーを映画の中で使用したそうだ。私のキャトルブランドへの片想いはピースメーカーだけにあき足らず身の回りの物にまで侵食されている。
一文字(?)、一文字、丹念にキャトルブランドのデザインを起こし立体化したもののサンプルを写真にした。参考にしてもらいたい。また、いくつかは私が使用しているものでもある。イベントなどで私と会う機会があれば注意して見てもらいたい。

【2002年8月14日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

ホルスター全景 全面にキャトルブランドのエングレーブを施した私のホルスター、イベントなどで好んでしている。
ホルスターアップ ホルスターのアップ
キャトルブランド エングレーブのSAA 当社カスタムの頁でオーダーを受けているキャトルブランド・エングレーブのSAA
ベルトと携帯ホルスター 携帯ホルスターとベルト。
携帯ホルスターはホルスターの頁でオーダーメイドを受けている。
ワイルド・ビル・エリオット ワイルド・ビル・エリオットが使っていたSAAと彼の映画
キャトルブランドのお皿 キャトルブランドをデザインプリントした陶器のお皿。

第12話 香港、台湾の駆け足旅行編

突然に香港へ行くことになった。香港で有力なプラスチックの外注が見つかったからだ。4月22日の月曜日にチケットの手配をする。手配は我がお助け所「HIS」だ。
ところでチケットを取るに当たってどこの航空会社を選ぶかが問題だ。料金を優先するか、時間を優先するのか、(時間を優先するという意味は発着が有利な方を選ぶということでその分価格は高くなる事が多い。)、はたまた、最初から航空会社で選ぶかだ。2月に行ったアメリカ(第9話の独り言参照)では席のスペースが広いという理由でアメリカンエアーラインを選択したものだ。
選ぶにしてもなにも、翌日に出発するわけだからHISの人も必死。空きのスペースを探すのが一苦労だったようだ。結局、台湾にも立ち寄る事を考えチャイナエアーライン=中華航空となった。
中華航空はちょうど4月から発着が羽田から成田に変わったばかりで新しい顧客獲得のためなのか、結構サービスが良かった。航空券だけで合計\52,500円だった。それよりも問題は余りに急な出発だった為ホテルが取れなかった事だ。
実は香港コンベンションセンターでホンコン・ギフト&プレミアムショーが開催されていて、海外からのバイヤーが思いっきり流入してホテルというホテルは満杯状態だったのだ。
えぇい、いつものことだ。ホテルが取れなきゃ、九竜パーク(ホームレス)があるさ、ってなもので腹を決めて中華航空に飛び乗った。
、、、で、飛び乗る前のトラブル。(いつもですが、、、)愛用のビクトリノックスのスイスアーミーナイフをとられた。それも乗機前のセキュリティのおっさんに!!(失礼)。
でもこれは私が悪かったのね。ナイフと一緒に乗機しようとしたから。でもだからといって取り上げてしまっていいものか?預かる手だって、送らせる選択肢だってあるはずなのに。送ることが必要ならもう一度外へ出てもらいますだって。そんな不親切な話ないでしょッ!!このことは今でもとても頭に来ている。
香港は98年7月から啓徳空港から新空港、香港国際空港=チェクラップコク空港に移った。
あのビルすれすれに飛ぶスリル一杯の離着陸は望めなくなってしまって残念ではある。その為ダウンタウン(市内)に入るには不便になったと思いきや、あにはからんや地下鉄、エアポートエクスプレスが出来ていた。
地下鉄乗車にはオクトパスというカードを手に入れた。これはJR東日本の「スイカ」のようなもので、ゲートにかざすだけで料金を引き去ってくれるスグレモノだ。
これでまずはコウズウェイ・ベイ(銅羅湾)へ向かった。ここは港町ワンチャイ(湾仔)の次の駅だ。

ホテルの予約が取れていないのにもかかわらず私はとにかく、てくてくと目的の場所に向かって銅羅湾の町を歩いた。東京に比べてやはり暑い。回りの人たちはほとんどが半そでの人たちばかりなのに私はといえば長袖シャツの上にファストドロウクラブのネーミングの入ったジャケットまで着ているんだから暑いのに決まっている。
香港には25年ぶりに来たが、確実に街がきれいになっていた。
97年に香港は中国に返還されたが返還後も人々は何も変わらず生活をしているようにみえた。道をたずねてもみんな親切に教えてくれた。その目的地についてだが、出国前(とはいえ前日だけど)必死になって寝床確保の為、軒並みホテルに電話をかけまくったものだった。どこも満室の一言だったのだが一軒だけ部屋はないけど、ここへ来れば何とかしてやるよというきとくな方が現れた。それがワンファ・ホステルだった。目的の場所とはこことばかりに歩いた歩いた。
結局、泊まるに泊まれたのだが、なんと怪しげなホテル?(いや、あれはホテルとは言わんな。ゲストハウスとでも言っとこか)にて宿泊したのだ。
ゲストハウスを紹介してくれたワンファ・ホステルのオーナー、サム・リンさん有難う。貿易センターのすぐ隣りで好立地のゲストハウスだったよ。
プラスチックの工場は香港にはなく中国側のドングァンにあるのだが、今回はその経済特区であるドングァンにはビザの都合で入らなかった。
打ち合わせの全てを香港で済ませ2日間滞在した。23日に香港へ経って25日に台湾へ。26日に成田へ帰って、27日から大阪のガンショー「ショットショー」に参加した。
ショットショーへお越しのお客様には疲れた顔を見せていたかもしれない。ここでお詫びしておこう。また、香港で打ち合わせして出来上がったものはおそらく我がウェブサイトに掲載される事だろう。どれとは言わないが、、、。
激動の一週間だったが、一日の密度が濃く充実した一週間だった。
香港への旅行を考えているがホテルが見つからないというお悩みの方は私に相談すると良い。ショッピング・グルメにも好位置の九竜パークを紹介しよう。(笑)

【2002年5月8日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

「オクトパス」カード 香港のほとんどの交通機関で使えるプリペイ-ドカード「オクトパス」。スグレモノ。
香港「世界貿易センター」 私の宿泊先、ゲストハウスのお隣りさん「世界貿易センター」
ゲストハウスのビルの入り口 ゲストハウスの入っているビルの入り口。
ゲストハウスの街並 ゲストハウスのある街並。いかにも香港。でも夜の写真とっときゃ良かった。
ゲストハウスの入り口 なにやら怪しげなゲストハウスの入り口
ゲストハウスの室内 部屋はまぁまぁきれい。
ゲストハウスのバスルーム? バスルーム?

第11話 「新宿大歌謡祭−ウエスタン・カーニバル」参加ミニ・リポート

 平成14年3月23日土曜日東京新宿ACB(アシベ)ホールにて開催されたロックコンサート、「新宿大歌謡祭−ウェスタンカーニバル」に参加した。
 ファストドロウやウェスタン、ピースメーカーの普及、促進の為に異種間ジョイントが効果があるのではと考えていたところだった。
 ちょうど、その頃にロックコンサートとジョイントしませんかという話が持ち込まれたのだ。今回、テストもかねて参加したのでその様子をここでお知らせしようと思う。

 我々のリハーサルは午後4時30分頃から始まった。
 写真を参考にしてもらうとして、当初の予定では舞台に上がるのは私(コネティ)、ケイ(井守)、ミック(遠藤)、トルネード(吉田)の4名だった。リハーサル前に村山氏(チームリターンズ)、マック(織田、ペイルライダーズ)もわざわざお手伝いの為に来てくれた。ペイルライダーズのリーダー廣井君も時間を割いてきてくれて本当に有難う。開場が6時、開演6時半、ウェスタンコーナーが8時20分頃からのスタートであった。
 私のライトオーバーは余りに落としすぎるということでみんなから冷たい口調で「やめたら〜」といわれ泣く泣くやめさせられた。
 ガンプレイのテクニックの一つ、ライトオーバーは本来は私の得意技(?)なのだがおかしいなぁ〜と思っていたところ、次のトルネード氏のリハーサルでガンプレイを見ると彼も結構落とすんだよな。それでトルネード氏との話でこれはやっぱりあの前方から照らされているかなり明るいライトが原因ということになった訳。それでPA(照明・音響)の担当の人にライトを少し落とし気味にしてもらうことでリハーサルは終わった。

 さて、それで臨んだ本番の舞台はやんやの喝采。
ミックの玄人はだしのMC(司会)とトルネードのガンプレイ、私のスピン(前方、後方)、トス(実は並行スピンも予定にあったのですがこれも落とすと言われてやめさせられた。グスン)がとても受けた。
 さすがトルネードは本番に強くリハーサルであんなに落として私を安心(?)させておいていざ本番になったらほとんど完璧なガン・プレイ・ショーをやったんだから、この裏切り者!!。実際に観客も舞台に上げて、のりのりでファストドロウを体験。その後マックのドロウの速さで舞台は最高に盛り上がりをみせる。
 ショーが終わった後はロックファンのお嬢さんたちからの握手攻め!!。内心、参加してよかったァ。(陰の声:フン、おやじだね。)
 今回はファストドロウのなんたるやを特に若い人たちに知ってもらおうということから実現したジョイント企画だったが、こんなにも受け入れられた事を正直ビックリもしている。
 帰り道、参加のみんなと今後こういった企画には積極的に出て行こうと確認も出来、とても充実した時間であった。ただ、一日経った後でも耳に残っているのは大音響と振動。それって年齢????。

【2002年4月9日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤

カーニバルのちらし カーニバルのちらし
ACBの入り口 ACB(アシベ)ホール入り口
全員集合 全員集合。左から、ケイ、私、トルネード、マック、ミック。写真撮影は村山氏。
私 ライトオーバーを封印されしょげ気味(?)の私
マック(左)とミック 玄人なみの司会で会場をわかせたミックとその抜きの速さで魅了したマック。素晴らしいツーショット
トルネード トルネードのガンプレイ、水平スピン
フリントロックスの中村氏(左) 今回のジョイントの仕掛け役、フリントロックスの中村氏(左)。やる側、見る側関わらずテンガロンハットの男女を見うけた。ロックグループと我々の垣根がハットで取り除かれたかも
フリントロックスのステージ 「フリントロックス」のステージ
ライブ会場 舞台と観客席が一体となって楽しんだ。大音響と振動、そしてエネルギーのぶつけあい、これこそライブステージの醍醐味といえる
ちびっこカーボーイのステージ 「ちびっこカーボーイ」のステージ
RANT AND RAVE のステージ 「RANT AND RAVE」のステージ

ご清聴(?)ありがとうございました(笑) from WEBスタッフ@ハートフォード
(background illustrated by ソウマン)


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