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第80話 バレンタインデーはベッドの上で。

2005年にも同じようなタイトル(32話クリスマスはベッドの上で)で入院話を書いたが今回も色気のない内容で恐縮だ。
年も押し迫った2013年12月26日、大腸ポリープ検査を受けた。経験のある方ならご存知だろうが検査は数十分で終わるものだが準備が大変だ。下剤は飲まなくてはならない、絶食しなくてはならない、超まずい液(?)を飲み干さなくてはならないと検査前の数日は地獄の準備期間。私の場合は検査はあっという間に終了。なぜかといえば先生の一言、「何か出来ていますね。まず大きな病院へ行ってください。紹介状を書きますから。」検査が始まって8分足らずの宣告だった。そう言えば1月の米国出張時、宿泊のホテルでトイレに行ったとき出血があったのを思い出した。そうか、あれから一年近く経つなぁ、当時はずっと忙しかったから神経性の胃か腸からの出血と勝手に決め付けていたっけ。まぁ、深刻じゃないことを願うだけだなと思う。看護婦さんからCT結果などの資料をいっぱい渡され言われた、「病院(名古屋市立大学病院)は年末は明日まで。だから必ず明日これを持って病院へ行くんですよ。一日でも早いほうが良いのですから。」クリニックから帰る途中は頭は真っ白。だめかもなー、弱気に。その割りに翌日はどうしても外せない仕事があって病院行きはパス。結局、憂鬱な年末、年始を迎えることとなる。明けて1月6日、ついに病院へ。診察を受ける。診察の順番を待つベンチで考える。頭に2013年6月に旅立った栄ちゃんを思い出す。米国から帰ってすぐに栄ちゃんからのがん告知を聞いたなー。因縁かなー。診察室での問診以降には検査、検査の連続。採血、X線撮影、CT検査、MRI検査、胃カメラなどなど。何日かの後に検査結果を聞くための再診察を受ける。病名は大腸がん、厳密にはS字結腸がん。しかし先生から根治が可能と言われる。もちろん手術が必要だが。ここで手術には必ずしもメスを入れる開腹手術ばかりではないことを知らされる。最近、定着してきた「腹腔鏡手術」という手法だ。お腹に4箇所穴(5ミリ程度)を開けそこからかん子を入れて手術すべき箇所を処置する手法だ。もちろんテレビカメラ、ライトも入れる(らしい)。私のお腹を見せても良いがあまり美しいものではないのでそこはイラスト(私制作)を参照してもらおう。
入院生活での出来事
2月6日入院、10日手術、18日退院。手術後1週間強の入院で思い出すこと。
*手術直後は6本の管が体に取り付けられていた。両手、背中、前、後ろ、お腹の計6箇所。まるで人造人間のようだった。
*初めて紙パンツをはいた!
手術後の数日看護師さんのアドバイスもあって紙パンツをはいた。最初はすごく拒否感があったけど(恥かしいから?そんな年じゃない、と思ったから?)手術前の「まな板の上の鯉」の気持ちを思い出して受け入れた。
*手術前日の準備
看護婦さんが手術前の準備でやってきた。下半身の毛を剃る?看護婦さんに剃られるのはやだなぁー。がしかし腹腔鏡手術では毛は剃らないのだとか。では何をしたかというとおへその穴の掃除だった。濡れた綿棒でしきりにおへそをきれいにしてくれた。美しくないおへそを見せてごめんなさい。私が書いたイラストを見ればなぜおへその掃除が必要かが分かる。
*いざ、手術室へ、
生まれて初めて手術室に入った。テレビや映画での手術台に乗った映像を思い出す。ある種の恐怖感、不安、緊張感でゲートをくぐる。付いて来てくれた奥さんから「頑張って」と激励される。手術室はだだっ広く、私だけでなくこれから手術を受ける患者さんが数人。その中に6〜7才くらいのぼうやが。彼を見て大人の私こそしっかりしなきゃと腹をくくる。
手術前の食事。結構おかずが多い。
手術前々日の8日、名古屋は朝から雪。談話室から雪景色を撮る。病名を聞いてから以降何をするにも意味を考えてしまうようになっていた。今から考えると大げさと思ってしまうが当時は「次回の雪は見れないかもなぁ」と結構な悲壮感だった。
手術後14日の食事。まだ重湯。
腹腔鏡手術のイラスト。私が書いたので適当だがこんな感じで手術は進められたと思う。(本人は意識が無いので分からない。)
このイラストでなぜおへその掃除が必要か分かるだろう。このイラストどおりに私のお腹には手術痕が残っている。
あまりきれいな写真ではなくて恐縮だが6本の管のうちの一つがこれ。手術後、縫ったところからもれる血を貯める便利なバッグ。JーVACサクションリザーバーというらしい。詳しくは分からないが画期的な製品でこれのおかげで入院期間がかなり短縮できるそうな。ぶら下げて移動していた。ちなみにバッグの中の赤いのは私の血。(すまん)
手術後は個室に入った。部屋番号南1354。写真は退院前日に「お世話になった部屋」として撮った。
PET検査の私の画像(ちょっと不気味)。検査は東名古屋画像診断クリニック(千種区)というところでやってもらった。
市大病院では入院するとすぐに手首にこのようなタグを巻きつけられる。検査時、手術時、採血時、点滴時などにはこれで人物確認をして間違いを防ぐ。退院のときはさみで切って用無しとなる。
    【2014年12月16日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



第79話 職質

よく職質、職務質問にあう。先日、コンビニの前で車を止めていたら、すっとパトカーが横についた。ウィンドウがするするっとおりて、こう来たもんだ。「すみませーん、どなたかお待ちですかー?。」(待ってねーよ)と心で思いながら、出来るだけ明るく、とにかくさわやかに、「いえ、これから出るところです。ご苦労様です。」と返事、この時は降車を促されたりはせず「ありがとうございます。」とか言われてパトカーは去って行った。はて、自分のどこに職質を受ける要素があるのだろう?確かに間抜けな顔をしてはいるもののそれ程凶悪そうな面構えではないはずだけど・・・、職質、これで4回目。
仕事柄、車に一般の人が見たら怪しげなものが積んであることがある。パーツの場合は良いが(それでもハンマーなどは一目瞭然)、組みあがった製品(モデルガン、エアソフトガン)となると一層怪しげだ。それが警察の方に見られたとなると状況はかなり違ったものとなる。
こういったとき(職質)にまず頭に浮かぶのは「何か乗せてたっけ?」だ。以前、トランクまで開けさせられたこともあった。別に問題のあるモデルガン、エアソフトガンを積んでいるわけでは無いのだが、それをいちいち説明するのが面倒なだけだ。
いままでに経験した職質。
*荷物(出荷する間際のモデルガン)を大量に車に積まなくてはならないのだがかなりの大雨、仕方がないので路肩に乗り上げ、工場のひさしの下で雨をよけながら荷物を積み込む。商品が濡れずに良かったと思いながら発車。最初の信号で止まった瞬間、後ろからマイクで呼び止める声、ミラーを見ると早くも赤色灯をまわしたパトカーが後ろに。どうやら路肩に止めていたのを見咎めたようでつけてきたらしい。この後は傘を差して事情を説明をして事なきを得たが結局出荷の時間が大幅に遅れてしまった。
*東京店がまだ目黒に有った頃の話。だから20年以上前の話。山手線目黒駅の改札口ちょっと横で友人と待ち合わせをしていたとき、突然現れた警察官からの職質。なんでも五反田で事件があったそうだ。「何をしていらっしゃいますかー?」
(警察官)「えー、人と約束で待っているのですがー」(私)実は今はもうやめてしまったが当時は社内で梱包の際に自分のナイフを使うことが流行で私も調子にのって革ケースに大き目のナイフを腰にぶら下げていたのだ。これってやばいのかな?と思いながら求めに応じて免許証の提示をした。免許証を確認中、警察官の肩に吊ったマイクから声が、どうやら緊急の呼び出しがあったようで突然「ありがとうございました。」と言って去っていった。ナイフにまで行かなくて無事だったなぁーと思っていたら友人が笑いながら寄ってきて「大変だったねー」と。私が困っているところを野次馬よろしくずーっと見ていたらしい。皆さん持つべきは(選ぶべきは)友人ですぞ。ちなみにそれ以降ナイフ携帯はやめた。
*これは職質に関係ないが独り言に良く出てくる関西にある某有名テーマパークに納品の途中の話。10年位前の話だ。名神高速を機嫌よく当社工場長と走っていたらスピード違反で御用。車を止めてパトカーへ。年配の方(警察官)に当社の社名やどこに何をしに行くか、なぜ急いでいたかを説明中、もう一人の方がじーっと私を見ながら「お宅ってひょっとしてレーザーサイトなんか作っているところ?」と聞かれる。すぐさま「うちのこと知っていますか?」(私)「友人がお宅の商品いっぱい持ってるよ」(警察官)「うちのこと知ってるならスピード違反のオーバー数、まけてよ」と言ったらにべもなく却下。まぁ、そうだろうね。頼む奴も頼む奴だけどと思った次第。
今回は特別に写真は無いので最近の私の違反切符を掲示。(見たくないか、そんなもん
    【2014年12月14日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



第78話 さよならDELL、こんにちはHP

2013年7月、東京の部屋で起こった事件。ハートフォード・カップ後、そろそろ決算の準備をしなくてはと部屋(東京の寮)で経理入力中、突然PCが落ちた。AC電源を引っ掛けて抜けた後にジャックをさし直した際にバチっという音がして画面が消えた。何度、電源を入れなおしても復旧しない。ここずっと毎夜面倒な入力を積み重ねてきた貴重なデータが取り出せなかったらどうしよう?と心底焦った。夜中の出来事なので誰かに相談するにしてもこの時間では無理だし、メールを出そうとしても肝心のPCが動かないのだからどうしようもない。手の打ちようが無いまま眠れない夜を過ごした。結局PC、DELLコンピューターは残念ながらそのまま帰らぬこととなった。決算資料の提出期限も迫ってきているので、とにかくデータを取り出さないと、とデータ・サルベージを依頼することとなった。費用は50000円。データはなんとかなったが入力作業を進めるにはPCが要る。時間もないので早急に手に入れなくてはと家電ショップ回りを始めた。
ここで以下のようなポイントを重点にしてPC選びとなった。こんな理由でPCを買い換える人は余りいないと思うが参考になればと挙げてみた。
基本性能
*ウィンドウズ7を選ぶ。
XPに慣れた私は近い7を探すことにした。8は仕事で使うには不向きという意見を参考にしたが今は8が中心なので当時は7を探すのに苦労した。
*出来るだけコンパクト。
東京、大阪と移動が多く、出張時には必ずPCは持って出る。そのため持ち歩きに便利なものを探した。
*CD,DVDドライブが付くこと。
いつも移動の新幹線車中でDVD映画を見る。名古屋⇔東京の1時間40分は調度1本分になるので時間つぶしにいいからだ。
そんな選択基準から選んだのがHP、ヒューレット・パッカード・エリートブックだ。
仕様は
OS:ウィンドウズ7。
ハードディスク:320GB
メモリー:4GB
ドライブ付(書き込み可能)
無線LAN付
サイズ:12.5型。かなりコンパクト、持ち歩かない場合はお勧めしない。
いまはこのHP、毎日自宅と会社を往復している。でも入力の際は充分気をつけなければ。
残念ながら復旧できず逝ってしまったDELL。
今回入手したHP2560P。メーカーからのページからの写真。私のPC撮影しようとしたら画面のショートカットが余りに多く、美しくないのでメーカー写真にした次第
コンプマートで購入。あと4台しかないという「煽り」に弱い私。
    【2014年12月14日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



第77話 栄ちゃんへ、

平成25年6月4日、我が友、栄ちゃん、エージェント向川氏が旅立った。8年ぶりに米国ショットショーに出かけ帰国したすぐにこんな電話をもらった。平成25年1月24日、栄ちゃんからの電話だ。「今日、医者で検査をしたらガンが見つかった。」(栄ちゃん)かなり進行しているような口振りだった。「最近はいい薬や手術法や機器があるからそんなに深刻にならなくても」(私)と言う割りに栄ちゃんより私のほうが深刻だった。それから半年も経たないうちに旅立ってしまった。栄ちゃんとの出会いは私がまだ会社勤めをしていたとき、たぶん28才位のころ。喫茶「西部」(名古屋市中区)でウェスタンショー・イベントがあるのを知って見に行ったことがきっかけだった。ショーよりも彼らが使うピースメーカー見たさに行ったのだ。栄ちゃんは当時「中部ウェスタンクラブ」に所属。華麗なガンプレイを見せていた。独特のフォームでガンをトスする彼の「ライト・オーバー」も思い出の一つだ。あの世で先に行ったピーメイ・クラブ前会長の立木さん、川瀬さんとウェスタン談義に花を咲かせているだろうな、今頃は。私が行ったら向こうのウェスタンファンを集めてクラブでも作ろうよ。

戒名は「西銃栄雄居士」。出棺の際はクラブ員が撃つピースメーカーの号砲で送った。
会場には彼の作品群が展示された。会場での展示、会場での発砲などは当社常連のミッキーのおかげ。
当日の挨拶文。  
1996年東京おもちゃショーに当社が出店したときの写真。右が栄ちゃん。
2007年公開の映画「スキヤキ・ウェスタン ジャンゴ」でタランティーノさんが使うホルスターを製作した。写真はその打ち合わせ風景と工房にてそのホルスター製作中の栄ちゃん。
同じく同映画で桃井かおりさん使用のホルスターも栄ちゃんの作品だ。
旅立つ1ヶ月半位前に撮った写真。
5月に墓参りに行ったときの写真。ちゃんと戒名が刻まれている。
2008年オールジャパンの時の写真。この時、二人でいつまでこんな写真撮れるかねーと話したなぁ。
今も愛用しているベルト、ウォレット、携帯電話ケース、全て栄ちゃん製。栄ちゃんの得意なキャトルブランド柄。
 ボーリン・タイプのホルスター
栄ちゃんが遺してくれて行った渾身のホルスター。コンチャ、バックルをどうやって作ろうと二人でよく話し合ったものだ。漫画「ピースメーカー」でもこのホルスターが使われている。ちなみに日本テレビ系で2013年12月から2014年3月まで「戦力外捜査官」、2014年12月から2015年2月まで「戦力外捜査官SP](2015年3月OA予定)で使用のため貸出しをしている。オンエアの際は注意してご覧を。これも栄ちゃんへの供養のつもりだ。
    【2014年12月14日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



第76話 米国出張2アームズショー

ショットショー視察で宿泊をリビエラホテルにしたのは訳がある。ショットショーと同じ期間に「アンティーク・アームズショー」が開催され、その会場がここ、リビエラホテルだからだ。どちらかというと新製品の紹介、営業が中心のショットショーよりこちらのショー会場に来るほうがほっとする。ポリマーフレームやステンレス素材中心の現代銃よりも木製グリップとにぶく光るスチールのコンビネーションにどういうわけか安心感がある。歳をとったということだろうか?そして今回はすばらしい出会いがあった。それが「R.L.ウィルソン」氏と逢えた事だ。私が死ぬまでに一度は逢ってお話をしたかった人、それが彼だ。会場に入ると広いスペースにウェスタンガンからオールドガン、ビンテージガンがずらり。洗練されたショットショー会場に比べ、クロスでカバーされたテーブル陳列台に銃が並ぶ様は日本でいつも出店している東京のビクトリーショーや大阪ショットショーを思い出し、あたかも自分が参加しているような錯覚におちいる。そっか、それもほっとする理由の一つなんだ、と納得する。ブースによってはガラスケースに大切そうにディスプレイされたショップもある。そんなブースでの掲示された金額は大体は目の玉が飛び出るような金額だ。まずは写真を楽しんでもらいたい。

入口の表示看板
R.L.ウィルソン氏とのツーショット!うれしい。
彼の新作「GREAT COLT TREASURES」を購入。サインをもらう。
サイン。彼の著書、何冊持っているんだろう?たぶん10冊以上。
ジュリア・ブースに有ったボーチャード自動拳銃。フロントサイト、露出したシアー形状からルドウィック製と分かる。当社が前年に同モデルガンをリリースしたばかりなのでずっと見とれていた。
モーゼルC96だけのディスプレイケース。圧倒的。
そのアップ。
コルト・ウォーカーだけのディスプレイ。合計にしたら一体いくらになるのだろう?
ケースド・スタール・リボルバー。いい色してるなぁー。ちなみに当社ではこのモデルガン近日発売。と、さりげなく宣伝。
会場で撮った写真の一部をお楽しみを。オールドガンファンなら釘付けだろう。もっと見たい方はイベント等(東京、ビクトリーショー。大阪、ショットショー)でお声がけを。写真集を持ち歩いているのでアルバムをご覧いただける。
    【2014年12月14日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



第75話 米国出張1ショットショー

久しぶりの独り言更新だ。前回の更新が2012年4月だからもう2年以上更新していなかったことになる。私の駄文を楽しんで読んでいただける人が何人いるか分からないが少なくとも元気でお仕事をしていることを皆さんに知ってもらえるならこの独り言も意味があることだろう。さて、久しぶりの更新。ここ何回かはまとめて掲示ということが多いので恐縮だ。今後は極力数ヶ月ごとの更新を目指したいところ。昨年(2013年)1月の8年振りの米国ショットショー視察、盟友「栄ちゃん」とのお別れ、ハートフォードカップ名古屋開催、そのテレビ取材と数多くのトピックスがあったのでそれらを順次掲示していきたい。一部はタイムリーではない話題もある。我慢して読んでいただこう。

*米国出張1 ショットショー
8年ぶりに米国に出発した。2013年1月15日から開催の全米で一番大きなガンショー「ショットショー」の視察。18日からはリビエラ・ホテルで開催の「アンティーク・アームズ・ショー」にも行った。宿泊は便利さをかってアンティーク・アームズショー開催のリビエラ・ホテルに決めた。渡米前に必ずしなくてはならないことがある。エスタ申請だ。実は8年前にはなかったものだったため出国ぎりぎり前に旅行代理店から聞かれて知った。最初「なに、それ?」という感じ。しかしその申請がないと入国を拒否されるという大切な申請、あわてて取ったものだ。旅程は結構ハードだった。(いつもだね)国内線はANA,国際線はユナイテッド便で、セントレア→成田 成田→ロサンゼルス ロサンゼルス→ラスベガス。この年、ショットショーはラスベガスで開催された。ところでこの出張中ボーイング787のバッテリー出火問題が有った事をご記憶だろうか?それが原因でアメリカ連邦航空局 (FAA) から1月16日に同機の運行停止命令が出た。おかげで帰国便の飛行機はどこかの倉庫から引っ張り出してきたようなおんぼろ機。シートにはめ込みのTVスクリーンが当たり前の映画鑑賞が遠く離れた通路上の中吊りスクリーン。結局映画鑑賞はあきらめて成田着までふて寝だった。まずはショットショー(1)、アームズショー(2)の写真とキャプションを楽しんでいただこう。

米国大使館ESTA(エスタ)申請公式ウェブサイト
日本語の案内なので安心。
 
ラスベガスの飛行場、ジャックポット機がスラリ。
宿泊したリビエラホテル&カジノ
部屋はこんな感じ
これは何?正解は携帯用ウォシュレット
シャワートイレではないので持参した。海外へ出張するとき必ず持っていくのがこの携帯ウォシュレット。TOTO社製。
1月16日出されたボーイング787運行停止命令の記事(1月17日中日新聞朝刊より)
ベガスからロサンゼルスの国内線のシート。短いフライトでも映画を楽しむ。この時点では後の帰国便ロサンゼルス→成田便のふて寝は予想出来なかった。

ショットショー会場での記憶に残ったショット
前年12月コネティカット州の小学校で起きた銃乱射事件で児童ら26人が犠牲となった。それを受けてのオバマ大統領による銃規制にNRAは断固闘うとこのようなメッセージボードを会場のあちこちに掲げていた。実銃のない日本では考えられないことだ。
コルト社ブース
コルト社ブースに展示のSAA45、ケースハードンが美しい。

コルト社ブースに展示された銃、ホルスター
シマロン・ブース
シマロンブースのジョーイ・ディロン氏。ハリウッド映画のガンコーチ。直近ではブルース・ウィルスさんの「ルーパー」。
次の当社製品造りの参考になるかなぁーと検討。シマロンブースにて
シマロンブースでの数々のウェスタンガン。
ウィンチェスター社ブースに飾られたM73。聞くところではこのM73は日本製(ミロク)だそうな。当社ガスガン・バージョン製作の参考にする。
ピエッタ(イタリア)ブースにて。私たちがいつもやっているようなガンプレイを見せてくれた。見よ!このドヤ顔。
展示されている銃の中から「スタール・リボルバー」を見つけた。(ピエッタ社)
ヘッケラー&コック社ブースに有った巨大なGMG(グレネードマシンガンの略)。余りの存在感に圧倒された。ハリウッド・アクション映画に出てきそうなものだがまだ使われたことはないそうだ。(最も超高価)
ケースハードンの美しさに撮った写真。
ギャルコ・ブースでのウェスタン・ホルスターの展示
S&Wブースからの写真2枚
当社取引先、レーザー製品のカートン社もブース出店。新製品のPEQ型レーザー。
同社社長のJ.J.ホワン氏とツーショットを専門誌に掲示された。(下段参照)
    【2014年12月14日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



第74話 吉祥寺味源

食い物ネタをもう一発追加。当社東京店の近くに北海道ラーメン「吉祥寺味源」がある。徒歩でほんの3分、いや2分かな?お世話になっている。東京店が目黒から吉祥寺に移転してきた頃、味源はヨドバシカメラ(当時は近鉄百貨店)の裏に有り通ったものだった、が突然閉店。残念がったのは私だけでは無かったろう。ところが5年ほど 前、現在の場所で営業再開、もちろんとても喜んだ。定番、味噌オロチョンを頼む。何といっても名古屋人、みそ料理には目がない。たまたま期間限定メニューで「かに」がトッピングで選べた。「かに」が乗った味噌オロチョンの写真が撮れた。実は私の好物の一つが「かに」だ。^^オーダー毎に中華なべで仕上げ、具は、もやしに始まってコーン、ひき肉、わかめ、メンマ、チャーシューと超豪華。あつあつのスープと程よい辛さで冬は温まり、夏場でも汗を拭きながら食べる味はたまらない。是非ともお立ち寄りの上、味噌オロチョンに挑戦あれ。

吉祥寺味源(あじげん)
東京都武蔵野市吉祥寺本町1-7-1
0422-21-8280
11:30〜23:30
(営業時間は変更されている場合があるのでご確認を。)
この看板を目当てにどうぞ
店内のメニュー、ご参考に
かにトッピングの味噌オロチョン
当社東京店から2分の距離
    【2012年04月22日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



第73話 リバレーター

2011年9月25日(日)東京都産業貿易浜松町で開催の「ビクトリーショー」に参加した。ここで改めて「リバレーター」を九四式、二十六年式に続くビンテージ・レプリカ・モデルガンシリーズ第三弾として発表。しかしこの銃の製作発表は意外と前のことだ。初めて発表をしたのが2005年、実はもう6年以上前のこと。2004年暮れから翌年2月頃まで私は体調を崩し入院、退院、保養と約2ヶ月以上、会社を休んだ。このことは独り言32話で書いた。もともと貧乏性の私、家でぶらぶらしているのはもったいないとばかりに今後製作可能なモデルの資料集めに時間を使った。この頃得た情報や資料がその後の当社の製作活動に大いに役立ったのは言うまでもない。実際いくつかの製品はその資料が元だ。当時ネットで米国のラルフ・ヘーガン氏と出会うことが出来た。そして彼とのメールのやり取りが始まった。彼はリバレーター研究家であり渾身の著書「リバレーター・ブック」を上梓していた。私がトイガンで製作したい旨を告げたところ快く協力を得ることが出来た。特に図面に関しては詳細に数多くのアドバイスを受け、そこから製作発表に至った訳だ。しかしその後当社は「ビクトリー」「ブラスター」「イエローボーイ」「九四式自動拳銃」など他の新製品に没頭、2010年になり、仕切りなおしで彼と連絡を取るが返信がない。アドレスが変わったかもしれないと思っていた矢先、彼の奥さんから返信が。返信にはもう彼はこの世に居ないことが記されていた。私にとってリバレーター製作は故へーガン氏との約束によって推進されたと思う。発売したあかつきには米国に送らなくてはと考えている。

ご存じない方に。リバレーターとは?
リバレーターは第二次世界大戦の終盤、米国で開発された45ACP弾を使用する単発式拳銃。部品点数わずか23個で構成され、当時数ヶ月の間で100万丁製造されたといわれる「伝説の銃」だ。その特徴は鉄板プレスのフレーム、ライフリングのないバレル(正式なパーツ名はチューブ)、コッキング・ノブがキャスト製と徹底的にコストと製造の手間を抑えた製品で、フレーム部の締結も単に溶接という徹底ぶりだった。また単発式のため排莢はバレル前部から棒で押し出すと言う原始的な方法だった。一般にリバレーターはフランス(レジスタンスへの援助目的)へ多く空中投下されたと理解されているようだが前述の「リバレーター・ブック」によると実は中国への供給が多かったそうた。ところで現在の「リバレーター」の価値だが米国では3,000ドル(レート80円とすると日本円で24万円)もするらしい。これも驚きだがレプリカまであってその値段が600ドル(同48,000円)もする。
ビクトリーショーの当社ブースで「リバレーター」製作発表。鳥瞰図とリバレーター・ブック、粉体造型を展示。
その鳥瞰図の拡大。パーツ構成が分かる。
粉体造型品をシルバー塗装した試作。表面が荒れている。
ほぼ、量産用パーツで組み立てられた試作。まだ塗装されていない。
まだ初期の段階での製品写真。粉体試作をシルバー塗装したものと資料としてとても役立った「リバレーター・ブック」右上の白いパーツ群が塗装前の粉体造形品。
塗装された試作。以前数多くテストを重ねて完成した「オールド・アイアン・フィニッシュ」(パターソン・カスタムなどで使用)を採用、ちょっと黒味を帯びたシルバー色がよりリアルに見える。
リバレーターかリベレーターか?
ネットなどを見るとリベレーターの表記を見るが実際に英語(アメリカン)発音では日本語の「ア」ほど母音が強くは無いが「ア」に近い発音記号になっている。(発音記号参照)そこで当社では広告などあらゆる場面で「リバレーター」と表記することとした。
復刻した当時のパッケージ、マニュアル、木製の棒、木片(スペーサー)など。
カートリッジも当時のリム刻印をリアルに再現して復刻版カートリッジ・ボックスに収めている。
故ラルフ・へーガン氏の著書「リバレーター・ブック」と当社リバレーター。
同モデルガン・マニュアルには彼に捧ぐ意味で以下のように記している。
Toy-Gun of HWS LIBERATOR,
Dedicated to Memory of Ralph Hagan,
リバレーター・ブック(原題:THE LIBERATOR PISTOL)は次のウェブから購入することが出来る。http://liberatorpistolbook.com/
    【2012年04月11日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



第72話 カレーうどん(69話カレーきしめんの続き)

当社東京店(吉祥寺)に近くに「吉祥寺麺通団」なる讃岐うどんのお店がある。ときどき麺好きな私がお世話になっているお店だ。最近お店に伺ったとき新メニューのお知らせ看板が。何種類かの新メニューの中に「カレーうどん」が登場。69話掲示が名古屋ネタだったので今回はその続編として吉祥寺ネタでお店の紹介をしたい。

讃岐うどん大使 吉祥寺麺通団
住所:東京都武蔵野市吉祥寺本町1ー20-15
電話;0422-21-1210
営業:11時〜23時30分(不定休)
公式ホームページ
http://www.kichijyouji-mentsuudan.com/
お店の外観。通常メニューに新メニューの看板。
お店の外観2
通常メニューの看板。
新メニューの看板。「カレーうどん」もおいしかったが「カルボターマ」もいけた。
カレーうどん。携帯の写真なのでピントが合っていなくて申し訳ない。
讃岐うどん「吉祥寺麺通団」の看板が誇らしげ。
麺好きな貴方、吉祥寺においでの節は是非お立ち寄りを。
    【2012年04月11日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



第71話 二十六年式拳銃

2011年暮れ、いちおしの新製品として売り込んだ製品、それが「二十六年式拳銃」だ。前作の「九四式自動拳銃」に続くビンテージ・レプリカ・モデルガンシリーズ第二弾として発売。実はこれらの旧日本軍拳銃、私が1897年米国サンフランシスコで実際に撃った銃だ。65話「九四式自動拳銃」でつぶやいたがこの時撃った銃は九四式、二十六年式、そして十四年式だった。当時の思い入れがこれらの銃の再現の後押しをしてくれた。さて、今回二十六年式拳銃を製作する過程でいろいろ苦労をした。それらを以下にまとめてみた。

*保存法
同銃保存法の復刻版を購入特典に付けたが実現にはかなり労力が要った。公の機関で保存されていることは分かったが膨大な量のデータから探すに丸々一日かかった。やっと保管されている昭和十五年九月製の実物を見つけたときはほっとしたものだ。取材した記載内容、装丁、サイズなど極力、実物を模して復刻するのも新たな大変な作業だった。保存されている実物は汚れないように厚手の表紙に綴じ込まれている為、正確なサイズが計れなかった。そこで当時の紙のサイズを調べると明治時代当時は「菊版」というサイズだったらしいことが分かった。現代のA版やB版の無いのは当たり前だ。そこから天地218ミリ×左右152ミリ(7寸2分×5寸)の「菊版」4分の1のサイズが判明、もちろんこのサイズで制作。印刷するため九四式拳銃保存法と同じところでお願いしようとしたらなんと今までの綴じができないと言う返事。この不況で製本屋さんが廃業されたらしい。そこでこの綴じ(無線綴じ)の出来る印刷屋さんを探すのも苦労の一つだった。

*木製グリップ
当初、木製グリップが標準装備と仕様を決めて実際にガンショーなどのイベント会場では華々しく「木製グリップ付」と書いていた。発売が近づき樹脂、ダイキャスト、ネジ、スプリングなど各種パーツが揃い始まる頃、木製グリップ製作が至難のことと判明した。(というか、常識的に考えれば左右非対称のこのグリップが難物であるのは分かること。)特に180度にわたってチェッカーが彫られるグリップ左側は5軸NCマシンでのみ製作可能と言う。結局、木製はあきらめてプラスチック金型をおこすことになる。プラスチックで作ってもこの180度チェッカーのせいで成型が一日に出来上がる数が少なく組立て時は毎日朝晩、工場へ成型品の引き取りに通ったものだ。それもまた良き苦労話の一つだ。当時(1893年)はどうやってチェッカー加工をしたのだろう?当社スタッフの一人は「当時はまだ瓦版屋の生き残りが居た筈だ。彼らがチェッカーを彫ったに違いない!」と言った。・・・・が真実は?誰かご存知の方あればお教えを。

*ネジ
先のグリップに関係した苦労。右グリップの取り付けネジはプラス頭のネジが当初の仕様だった。まぁ、グリップを外さないと見えないんだからプラスでも良いんじゃない?という私の声で決定。結果、箱、マニュアルのデザインもプラスになっていた。出荷間際になって、ふと考えがよぎった。「明治時代プラスネジなんかなかったよなー」、「買ったお客様がプラスネジ見たらきっとテンション下がるだろーなぁ。」やっぱりマイナスネジにするべきだ!と突然の宗旨変え。スタッフはやれやれの顔。だって箱からマニュアルまで全て変更しないと・・・。肝心のネジのほうは作っていては間に合わない。既製品を探せばあるだろうとタカをくくってネジ屋さんに聞くとどこも無い、あせってあちこちのネジ屋さんにコンタクト、名古屋、東京、大阪どこの業者に連絡してもつれない返事ばかり。メールと直接電話した合計はおそらく50軒以上にのぼると思う。最終的に探しましたよ。下関の業者さんから。

*シリアル・ナンバー
二十六年式拳銃フレーム右側には次の刻印がされている。東京砲兵工廠小石川製造所マーク、二十六年式、そしてシリアルナンバー。当社が製造する二十六年式のシリアルナンバーは「50910」。これこそ私が撃った二十六年式のシリアルナンバーだ。このナンバーを刻印するため雑誌社や所有者に了解を得て実現できた。私の思い入れを形にさせてくれた人々に感謝したい。
より正確な三次元データ作成の為、海外で実物の二十六年式を取材。写真は採寸で使用した二十六年式。フレームとバレルをつなぐヒンジネジが欠損していることに注目。

保存法(実物)
左から保存法表紙、目次−紙の経年劣化した色に注目、保存法に綴じ込みの図面。
サイド・プレートを開いた写真と比較すると当社の再現性の高さが分かる。特にメカニズムをよくご覧頂きたい。

当社の復刻版保存法。紙の選定も焼けた色を再現するのに苦労した。紙質がザラッとしていてなおかつ変色した感じが良く出ている(でしょ?)。印刷屋さんに出来るだけ「汚い紙」を使って欲しいと頼んだら目を白黒された!
販売促進のために制作したチラシ。こういったチラシ制作には広告代理店当時のスキルが役立った。
発売数ヶ月前に専門誌広告などで使用した試作。黒艶消しパーツのハンマー、トリガー、トリガーガードなど粉体造形品(樹脂)を黒塗装して使用。広告はモノクロだったのでそれほど目立たなかったがカラー広告ではもたなかったと思う。
発売直前の量産試作。この時点ではダイキャストパーツは粉体ではなく量産品。
紆余曲折の上、出来あがったプラスチック・グリップ。チェッカーをよく見て欲しい。木製での制作は可能だが製品価格がもっと上がったことだろう。
結局、シリアルナンバー54000台から多く使用されたグルーブド(横溝)タイプの木製グリップを製作した。写真はそれを取り付けたエイジド・カスタム 41,790円 (税5%計算)
一番最初の試作で使用したプラスネジ。
量産品で使用の真鍮製マイナスネジ。真剣に探し回った。
当初、予定していたフレーム形状の粉体サンプル。グリップ部分の強度が不安なので形状変更。
変更したフレームの粉体サンプル。前の粉体サンプルを囲んで打ち合わせした結果、この形状となった。粉体造型を製作する意義がここにある。
量産品はこのようなセットで販売されている。新たなサイズ、デザインの箱となった。黒をベースにした箱に白色で二十六年式イラストを印刷。雰囲気は出ていると思う。
カートリッジ・ボックス。デザインも50発入ボックスの実物を参考にした。
 
*おまけ
その昔、現アームズ・マガジンの前身に「ガンスミス」というタイトルの雑誌が発刊され私も寄稿。なんと「二十六年式」のエアガンを製作。今回たまたま倉庫を整理していた際、タイミングよく(本当に)突然見つかった。もう何十年も前に製作したもののため表面がかなり痛んでいた。少しレタッチを入れて写真を撮った。マルゼン製M29エアソフトガンをベースにカスタムアップしたものた。今でも立派にBB弾は出る完動品。
    【2012年04月08日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤



ご清聴(?)ありがとうございました(笑) from WEBスタッフ@ハートフォード
(background illustrated by ソウマン)


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