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お立ち寄りの皆様へ。
おひまでしたらハートフォード代表、コネティ加藤のつぶやきを聞いてやって下さい。
(WEBスタッフ@ハートフォードより)

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第50話 ホルスターのうんちく話

 ホルスターは現在では銃を守り、運ぶ入れ物として大変に役立つ物だが、その起源は100年以上前にさかのぼる。この時代では通常、銃は鞍に差し込んでいたもので、体に付ける場合はズボンのベルトにさして運んだと言われている。出来るかぎりポケットに入れ、銃を裸で持つこと自体大変マナーの悪い事とされていたようである。ホルスターの初期的形態はもちろん軍用からで、だいたいはフラップ(蓋)のついたタイプだった。
 特筆すべきは現在と違いホルスター位置は利き腕側だがグリップが前方に向く今で言うクロスドロウタイプだったそうだ。サーベルを持つ為だったそうだ。その昔に実際に使われていたホルスターの写真などを見ると、全体に大きく銃をくるみこむようなものがほとんどでベルトもホルスターも意外に地味で柔らかそうに見える。また、銃口からゴミやほこりが入らないようにするため先端部を閉じてあるものが多かったようだ。
 この頃の実際のホルスターと我々が思い浮べるホルスターのイメージはかなり違っているはずだ。
 つまり我々がもっているイメージは、ほとんどテレビや映画の中に出てきた西部劇映画用ホルスターから作られているからだ。
 これは1920年代後半に起こった西部劇映画ブームからの影響といえる。それまでの伝統的なウェスタンホルスターに変化が訪れたのはこれらの映画プロデューサー達が銃をより効果的により印象的に見せるためホルスターのカットを大きくしたり、ベルト部やホルスター部にコンチャ(銀製などの飾り)を数多く付けることでオーバーデコレートしたためだ。
 正義の味方を強調するためにベルト、ホルスターがすべて真っ白、そのうえホルスターまわりには房がついた映画用小道具ホルスターなどもあった。このタイプのホルスターが決定的になったのが1950年代後半からの「ローンレンジャー」「ローハイド」「ララミー牧場」など(懐かしい)TV西部劇の台頭であった。いわゆるハリウッドタイプ・ホルスターの登場だ。
 この頃の西部劇映画のアドバイザーであったアルボ・オヤラ氏の考案したホルスターがその典型だ。
 オヤラ氏は映画のスタントマンであり、早撃ちガンマンであり、西部劇映画に出演する各スターのガンインストラクターでもあった人だ。まず彼は銃を早く抜いて早く撃つ為の機能重視ホルスターを作り上げた。これは、まだ銃がホルスター内に残っている状態でもハンマーコッキングが可能なよう、メタルライニング(ホルスター部のシリンダーがあたる部分に薄い金属を埋め込む方法)を施し、なおかつ銃を抜きやすくする為ホルスター下部が前傾セットしたホルスターであった。このホルスターの出現によって全米でファストドロウをスポーツとして楽しむ人口が一気に増えたそうだ。
 ここ数年前、西部劇映画がかなりの本数公開されウェスタンファンはとても喜んだものだった。最近のリアル志向からオールドタイプホルスターの使用が顕著であった。確認したい方は映画「ツームストーン」、「ワイアットアープ」、「クィック&デッド」を見る事をお勧めする。こうやって考えていくとホルスターひとつ取り上げてもその起源、歴史、発展形態とウンチクが広がり結構楽しめるはず。西部劇の見方がチョット変わると思う。
(当社ホルスターカタログより一部転記)
弊社が過去に製作したオーダーメイドのオールド・ホルスターの一例。

【2008年7月22日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


第49話 車へのこだわり

 今、私はセルシオに乗っている。自慢はナンバーが1873であること。1873はピースメーカーが米国で製造が始まった年だ。ちなみに当社のフリーダイヤル番号 も0120-1873-45だ。
 これと同じように44-40(ピースメーカー用弾の口径の一つ−写真下左、2月に急逝されたマッキー氏のスバル)、1911(コルトガバメントの製造年、その上、乗っている車種も三菱コルトと徹底している)などの車番に乗るピーメイ・クラブメンバーが多い。これもある種のこだわりだろう。
 私の親がトヨタ自動車様にお世話になっていたことで子供の頃からトヨタさんには足を向けて寝れないという風に育てられた。学生時代はそれへの抵抗もあってか一時トヨタ車以外に乗ったが、以降はずっとトヨタ車 一辺倒だ。免許取得から今年で40年、かなりの年数が経った。しかしその割に私の代々乗り継いできた車種は少ない。免許を取って喜んで買った(自分の貯金で買った)サニー・クーペ、べレットGT、コロナマークUクーぺ、マークUワゴン、レクサス、セルシオと総計たったの6台。私が浮気性でない証拠だ(?)。実際に惚れ込んだ車(べレット、レクサス)は手放すのが惜しく10年以上は乗った。以前は走り屋(?)だったが年なのか最近は切符を切られることも無く平和なドライバーになったことをお知らせしたい。
大学時代、初めて買った車がニッサン・サニークーペ。でも結局1年でべレットGTに乗り換えた。
 
10年以上乗った愛車「べレットGT」。就職した広告代理店で制作部にいた頃で、この写真も自分で撮った。カメラは酒井のトヨビュー4×5(写真屋さんで使うジャバラの付いたカメラ)。当時は練習と称して高価な4×5フィルムを湯水のように使った(でも、モノクロだったけどね)。サインは当時いすゞのレーサーだった「米村太刀夫」さん。この頃は広告代理店でのクライアントはニッサン、自分の親はトヨタ様の下請け、自分の車はいすゞと揺らぐ心は乙女のようだった(なんのこっちゃ?)。
4代目のコロナ・マークUワゴンの前で。25年位前?隣りはハートフォードの赤鬼「マッチャン」の若かりし姿。ウェスタンファッションが決まってる!私も若い!
5代目のレクサス。ガン・シューティングでサンフランシスコに行ったとき、ダウンタウンで見た「レクサス」が余りにも美しくて一目惚れ。帰国後に手に入れた。やはり10年以上乗った。適当な写真が無かったので修理時の写真を使用、リア後部に傷がある写真でご容赦。
右のセルシオが現在乗っている6代目の車でナンバーが1873、ピースメーカーの製造年。左がピーメイ・クラブメンバーの所有車。同じく1873。
おまけの写真を一枚。同じくマークUワゴンの横で。青鬼=ケイ井守、赤鬼=まっちゃん、25年(?)前のツーショット。今でも当社名古屋店に来ればこのツーショットは見れる(週に数回?)。右は当時お店で飼っていた柴犬「トコ」。

【2008年7月22日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


第48話 ノスタルジック・カー・ショー

 6月21日、22日の二日間「名古屋ノスタルジック・カーショー」に出展した。
 従来参加するイベント(展示即売会)はガンショーと決まっているのだが今回は同時併催に「ノスタルジック・トイ・ワールド」があったからだ。
 車→メカニズム→模型→ガンという連想もあった。「ハートフォード・カップ」の疲れも何物ともせず勢いで出展したようなものだ。特に主催者の好意で会場に「ファストドロウ・コーナー」を設けても良いという答が後押しした。室外ならまだしも通常はなかなか室内の発火を認める箱(会場=ポートメッセ名古屋一号館)は無い。モデルガンに使用する「キャップ火薬」は実は火薬取締法に規定される火薬ではない。この機会に説明するとキャップ火薬は「音花火」だ。一般に公園で花火をするに当たって「消防署」「警察署」への許可を得たり報告はしない。つまりそれと同じだ。しかしながら会場によっては断固として認めてくれないところも多々ある。今回はそういった面倒な手続き、依頼書、報告書などの提出を求められることなく許可を得た。さて、当日は二日間雨にも関わらずかなりの入場者だった。特に日曜日は人出も多く「ファストドロウ体験コーナー」も賑わった。ハートフォードのブースに関して商業的には決して成功と言えないが「ファストドロウ・コーナー」から未来のシューターが現れてくれたらファストドロウ啓発、促進に大いに役立ったと言えよう。
中年ガンマン 、、、左から、リーバン、ライトニング(あっ、ごめんまだ中年でなかったね)、ジミー、ケイ井守、私、エージェント。
左から、 ハートフォードの青鬼ケイ井守、私、エージェント、ハートフォードの赤鬼マッチャン
お手伝い頂いたピーメイ・クラブの皆さん、二日間ご苦労様でした。参加頂いたメンバーの皆さん、、、H.O、エース、ライトニング、ジョー、ビンセント、タカ、ジミー、トミー、リーバン、カヨチャン、エージェント、そしてケイ、マッチャン有難う!
カーショーなので、本題の懐かしい車の写真も並べておきます(笑)。

【2008年7月22日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


第47話 ハートフォード・カップ

 6月8日(日)四日市農協会館にてオールジャパンのプレ大会に当たる「ハートフォード・カップ」が開催された。
 大会での熱い闘いは本ホームページや専門誌で成績と写真付きでレポートしているので参考にしてもらいたい。
 開催に先だち前会長「マッキー立木」さんの奥さんからメッセージを頂いた。実はこの時の写真が無い。誰もが写真を撮ることすら忘れて、ひたすら奥さんのコメントを静聴していた。まるでマッキーの言葉に聞き入るように。おそらく誰も写真を撮ることが出来なかっただろう。奥さんのコメントに続き新会長「ジミー井濱」氏の大会開催挨拶、そして私の挨拶の順だった。奥さんのメッセージの後でマッキーとの色んなことが思い出され、うまく挨拶を言えたのか未だに自分でも記憶がない。
 私を含めたピーメイ・クラブメンバーのシュート音が天国にいるマッキーに届いたことを願う。
久しぶりにエーちゃん登場!こういうツーショットは何時まで撮れるのかな?ところで私にはヒゲが無いでしょ?このところ家族が(娘2人に嫁)ヒゲ大反対でどうやら多少でも若作りをしてもらいたいようだ。加えて最近、初めてのお客様から弟のことを「息子さん?」と聞かれ、またまた大ショック。受けたショックは独り言22話級。西部のガンマンというと無精ひげとタバコは必須だが実はタバコもやらない。実像と虚像の間にゆれる私だ(?)。
トロフィーと賞品の数々(左)。弊社も小ブースで出店(右)。
私の勇士をご覧あれ(笑)。

バンダナはワンポイントなおしゃれ。ファストドロウシーンでは手にかいた汗をふくだけでなく合間にさわることで緊張した気分を和らげる役目もある。
左から、上位3名、全体写真、ピーメイ・クラブの面々。
大会の記録詳細や沢山の写真はこちらから。

【2008年7月22日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


第46話 ショット・ショー・ジャパン

 例年、年2回、大阪心斎橋アメリカ村で大阪「ショット・ショー・ジャパン」が開催される。もちろん当社もかれこれ10年以上出展してきた。なかなか紹介する機会がなかったので今回改めて紹介したい。私たちの「ショー」といえば、おもちゃの鉄砲の展示即売会である。一般の人たちから見ればたぶん一種異様な雰囲気の世界に見えるだろう。最近はこういったガンショーは世の中の経済状況を反映してか、めっきり少なくなってしまった。が、数年前(改正銃刀法以前)は関東、関西合わせ年10回以上開催されていたようだ。
 私が好きなのは、この限られた空間で入場者の皆さんのエネルギーを直接感じることができるからだ。また、ユーザーがどういった製品に興味を示し、その結果財布を開けるという瞬間をオンタイムで目撃できることだ。とてもリアルなマーケット・リサーチと言える。
 写真は今年4月に出展した際のものだ。
いつもはミック遠藤氏とのコンビだが今回はケイ井守氏と参加した。 ブースの飾りつけの最中に記念写真。
毎回おなじみ、会場10分前の 大行列。この後会場は熱気ムンムンとなる。
トイガンの神様「タニオ・コバ」氏と。お互いのガンを持ってポーズ。もう一人の神様、六人部氏は本当に神様になってしまった。
もうひとつの密かな楽しみは「夕食」だ。ラーメンの「かみくら」(34話で紹介)やオムライスの発祥「北極星」お好み焼き「MAYUMI」「 ソウルメイト」、「食いだおれ」(先日閉店してしまった−涙)などに行って大阪の味を堪能することだ。
 今回、一軒新たに 開拓した。うどんの「 ガルバン堂」。店主さんに店名の意味を聞いたら「がんばるど〜っ」と言われた。結局2日間通った。一日目は「湯葉うどん (左写真)」薄味で上品な味で塩気を控えなくてはならない私にはぴったり。二日目は店主のすすめで「牛筋カレーうどん」この店一番メニューとのこと。どちらもおいしかったので大阪アメリカ村に行く機会があればぜひお立ち寄りを。あーぁ、結局食べ物ねたになってしまったか、ご容赦!
 
是非各店へお立ち寄りを
●「麺匠 ガルバン堂」大阪市中央区西心斎橋2-9-5 日宝三つ寺会館1F (06)6213-2146
●「オムライスの北極星、心斎橋店」 大阪市中央区西心斎橋2-7-27 (06)6211-7829
●「MAYUMI」大阪市中央区東心斎橋1-14-21 川村ビル 1F (06)6245-1748
●「ソウルメイト」大阪市中央区東心斎橋1-16-14 ばらの木ビル2F (06)6244-9567

【2008年7月13日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


第45話 グアム訪問

 4月15日から18日、初めてグアムに行った。実は長年サンフランシスコに預けてあったガン4丁をグアムに移送、その確認の為の出張だ。ここ数年、全米最大のガンショー「ショット・ショー」に行くことはあるが足を伸ばしてサンフランシスコに置いてあるピースメーカーを撃つ機会はほとんどなかった。そこで日本から一番近いアメリカ「グアム」への移送を考えて動き出したのが昨年の2月だった。9.11以降、銃器の州をまたいでの移動は以前に比べ格段に厳しくなったようだ。それが証拠にほぼ一年かかってしまった。アメリカでは銃器を送る側、受ける側それぞれにF.F.L.( Federal Firearms Licence )という資格が必要で今回それも時間のかかった理由のひとつだった。
以下が移送した銃だ。
  • 1877年製コルト・オールドタイプ(アーティラリー)
  • サード・ジェネレーション、コルトS.A.A。(同)
  • 復刻版コルトS.A.A.オールド(キャバルリー)
  • バターソン・パーカッション(レプリカ)

 これらを預けてあるのが最近日本のガン専門誌ででも紹介されるグアムの屋外シューティング・レンジ「G.O.S.R.」だ。今後はグアムをベースにオールドガンの情報発信などの活動をしていくつもりだ。近い将来、ファーストからサードジェネレーションの(射撃を含めた)詳細なS.A.A.レポートや、ほとんど知るチャンスのないパーカッション銃、パターソンなどのレポートを専門誌にて実施するつもりだ。オールドガン・ファンの皆さんには、是非期待して欲しいものだ。

 余談をひとつ。ガンの移送が完了する2ヶ月くらい前に、このシューティング・レンジのオーナー「鈴木」氏が来日した。せっかくなので表敬訪問の為上京、挨拶がてらホテル・ロビーで面会した。当初はお互い気を使って丁寧言葉だったが何の拍子か二人が大学の同級生であることが判明、直後二人は「ため言葉」に。大学紛争で荒れたあの時期、あの場所(京都)で同じ空間にいたという偶然。どこで誰と出会うか、人生の面白さの典型だ。

GOSR事務所風景。見知ったガンが一杯でしょ?でも、おもちゃじゃないからね。
 

サンフランシスコから移送した、コルトSAA(Single Action Army 45)キャバルリー(左)、ベースピンをねじで止める、エジェクターロッドがフルムーンと典型的なオールド・タイプ(中央)。もちろんコルト純正の復刻版。珍しい!
同じく当社のコルトSAAアーティラリー(右)。ウィンチェスターのアモ(45コルト弾)と。
正真正銘、1877年製コルトSAAオールド・タイプ。(当社所有)エジェクターチューブのねじが無い、近日修理終了予定。
 
今回宿泊のグランド・プラザ・ホテル。今回、出発までに時間が無いのに(いつものことですが・・・。)何とか予約できた。隣のABCストアにはお世話になりました。
ホテルからダウンタウンまでの移動手段はもっぱらバス。快適でした。料金は写真を参考に。日本語満載だけど、本当にグアムのバスだよ。
ダウンタウンにあるウェスタン・フロンティアショップの店内。正面にトラップドアが飾ってある。お店の外観写真を撮ったのだが写真を削除してしまったので無い。ごめんなさい。
ウェスタン・フロンティアには室内シューティングレンジがあってそこにHK(ヘッケラー&コックP7−初期型)があるというので撃った。珍しい銃なので撃つ前に写真を撮らしてもらったのだが、ガスピストン・ディレイ・システムのせいで人指し 熱っち〜のなんのって
せっかくグアムに来たんだから観光らしき事をしなくては・・・。ということで海底の生き物を楽しんだ(?)。これはそのビルの外観。Under Water World。
ゆらゆら揺れるくらげ。癒しになるというのもなんとなく解かる。
 
(左)GOSAの前で。 (右)レンジ風景。SAAでメタル・ターゲットを撃つ。
GOSA事務所内には見慣れたホルスターが。そう、私のキャトル・ブランド・デザインのホルスターを預けている。もちろんエージェント向川の作品。


GOSRからの帰り道、マクラウツのお店がある。定番ジャーマン・ソーセージのホットドッグがうまかった!日本の女性誌でも紹介されているそうだ。青い空、芝生、木々の緑、軽やかな風、射撃でのリコイルショック、音、緊張、の後だからこそ、ここでの時間が一層穏やかに感じた。写真奥の日よけパラソルの下でゆったりと時間が流れた。マクラウツの店の紹介;マロロ村。マリンドライブ・ルート4沿い。南に向かって左側。営業時間(月〜金)11:00〜21:00、(土・日)12:00〜21:00、現地電話番号828-4248
 
リボルバーの元祖、テキサス・パターソン(当社所有)。イタリア・ウベルティ社のレプリカ。本物はコルト社が1836年に製作した歴史上最初の量産リボルバー。本物だったら最低7万ドル(約800万円)する。近い将来当社新製品としてお目見えすることだろう。ご期待を。
 
GOSRのブログで紹介されている私の写真。
同級生のGOSRオーナーが我がピースメーカーを撃つ!

GOSRのホームページはここ

【2008年7月13日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


第44話 イエローボーイ

 突然に「イエローボーイ」と言っても銃に興味の無い人には何のことやら分からないだろう。「イエローボーイ」とは1866年から98年の間に総数約17万丁製造された米国ウィンチェスター社の伝説のレバーアクションカービンだ。44リムファイヤー、銃身の下にチューブラーマガジンが付きフレームが真鍮で製造されていたことからイエローボーイと呼ばれ、ウィンチェスターM73とともに" The Gun That Won The West" 「西部を征服した銃」としてつとに有名なガンだ。
 昨年12月17日に当社はこのイエローボーイをエアソフトガンにモデルアップした。トイガン専門誌でも紹介され、現在ウェスタンガンファンの人たちから大きな支持を戴いている。当社、いや私がこの銃に魅せられたのは、まず真鍮フレームの美しさ、そして内蔵されるトグル・システムからだった。

 洋書などに掲載されるイエローボーイの写真を見るたびにいつかはこの銃を作りたいと考え始めたものだ。そしてこれを作るにあたって次の3つのMUSTを自分なりに挙げた。
  1. 実銃のメカニズム、特にボルト両側に付いたトグルシステムを是非、再現する。
  2. ストックは必ず、木製の、もちろんアメリカン・ウォールナットで作る。
  3. フレームは真鍮で製作する。
 しかし、ひとつ、実現が不可能になった。それはフレームを真鍮で造ることが出来なくなったことだ。2006年の暮れ頃、真鍮の金属相場がキロ200円位だったのが2007年8月頃にはキロ1,000円を超え、そして年末には1,200円になったと言う。一説には北京オリンピックが金属相場高騰の原因と言われているが私たちのようにトイガンを製造する側にとって金属相場高騰は死活問題と言える。結局、真鍮で製作することはあきらめて亜鉛ダイキャストに真鍮メッキ でその質感を表現することとした。
 まだまだ困難はあった。イエローボーイのバット・プレートを止めるネジ、つまり木ネジは当初近所の日曜大工センターで購入する予定だったが・・・マイナスネジが無い!。青くなって探し始めるが、どこのねじ屋さんに聞いてもつれない返事ばかり。その上こちらの要望の「素材は真鍮で」というと完全にお手上げ状態だった。イエローボーイ製造当時、1866年にはプラスねじなど有ろう筈はなく、もしそれを使ったら興ざめ間違いなし、ファンの皆さんからの大ブーイングが想像できた。そこで仕方なく作りましたよ。ロット3万個で(グスン)
 第一ロットの発売日が2007年12月17日、その二日前、15日に佐世保の猟銃乱射事件が起こった。それが原因で製造にも売れ行きにも少なからずの影響があったようだ。「本物とおもちゃ」似て非なるものだが製造には特に気を使って外から見られないよう息をひそめて組み立てたのが記憶に新しい。(被害にあわれた方々のご冥福を祈ります。)
 すべての金型が出来上がって仮組みしているとどうもバレルとマガジン・チューブのバランスが悪いことに気がつく。実はバレルはテーパーがついているが、バレルとマガジン・チューブの軸線は平行に図面 制作されていた。その為バレルとマガジン・チューブの両先端部にはすき間ができそれが原因でバランスが悪く見えたものだった。洋書などの実銃資料を精査するとマガジンチューブはフロントバンドでバレル側に寄せられていることが判明(写真参)。急遽、バンドの金型を再製作して改良したものが間に合った。
 
当社イエローボーイのチラシでモデルを務めたMR.SNOWSHOE氏。彼はノルウェイ人。意外だがノルウェイでは銃は認められているそうだ。もちろん彼は本国でばりばりのカーボーイ・シューターだ。ちなみに彼のSASS(米国のカーボーイ・アクションシューティング競技母体、Single Action Shooting Society の略)メンバー番号は#20450と若い。(私は#43359)ウェスタン・コスチュームはすべて自前。
撮影も苦労した。当初、当社東京店のある吉祥寺・井の頭公園で予定していたが撮影依頼を公園事務所にしたところ許可が下りるにかなりの日数が必要とのことで結局あきらめた。恩賜公園だけあって敷居が高かったようだ。最終的に近所の善福寺公園で無許可ゲリラ撮影を敢行。モデル、カメラマン(カーボーイシューターのJIN村山氏)、私の3人でタクシーで現場へ乗り付ける、所要時間20分、撮影途中に公園事務所の人が巡回するのを察知、脱兎の如く待たしたタクシー に飛び乗り逃亡いう強行撮影だった。この後東京店屋上でも撮影、この日は台風明けとあって空は抜けるくらい青かった。そういえば誰かがこれカリフォルニアの空でしょう?と聞いてきた。私は「まぁね」と答えた。
「念ずれば通ず」なのか、ある会社から金属加工の外注依頼が、写真のようにすべて真鍮削りだしのイエローボーイが現実のものとなった。当社広告では以下のように表現している。「夢が現実に!全真鍮製イエローボーイ・コンプリート。主要部品をすべて真鍮無垢で製作した理想のイエローボーイが貴方のものに。フレーム、サブ・フレーム、左右サイド・プレート、バット・プレートの各パーツをすべて真鍮削りだしで製作、日本で、日本人オペレーターによって、日本製CNCマシニング機で真鍮インゴットから製作します。」
チラシ、抜けるような青い空に注意。
イエローボーイの製品ページはこちら

【2008年7月13日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


第43話 マッキーへ

更新が止まってもう1年と3ヶ月、こんなにも更新をサボったのは初めてだ。更新するにあたってまず最初に飛び越えなくてはならないハードルがある。それは我がウェスタン・クラブ「ピーメイ・クラブ」前会長の急逝(本年2月)を伝えなくてはならない事だ。彼のことを書かなければ何も進めない。
マッキー立木氏の遺影(2008ハートフォード・カップにて)出会いはもう10年以上も前にさかのぼる。当社がファストドロウに関わり始めた平成8年当初からの付き合いだった。彼との思い出は一杯ある。写真も、、、。カントリーミュージック、ウェスタン、ファストドロウを愛したマッキー、、、。いつも柔和な笑顔で迎えてくれる。それでいながら、自分の主張ははっきりと持った人だった。
マッキー氏自作カード・レリーフのグリップそれは彼の持ち物、ブーツ、ハットなどのウェスタンファッション、ライター、ガン、グリップなどの小物にあらわれている。マッキー、貴方の意思を継いでウェスタン、ファストドロウの環境を守っていくよ。そんな私たちをどこかで見守ってて欲しい。
そのうちそっちに行くと思うから天国でファストドロウ広めておいて。そしたらファストドロウ例会を開かないといけないね。
プレゼンターは私シングルショットダブル・バルーン
上3枚は2007年オールジャパンin東京での場面
左から、前会長、新会長、私2004年オールジャパンin名古屋での場面。
奇しくも、前会長さん(左)、新会長さん(中央)、私(右)の2度と撮れないスリーショット。

【2008年7月13日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


第42話 露出(その1−紙媒体編)

 露出といっても変な意味の「露出」ではない。当社が、または当社製品が紹介されたり、当社製品が小道具として使用された、そういった露出機会を今回掲載したい。当社も設立から20年以上経っているのでねたは沢山ある 。順次紹介したい。まずは、紙(雑誌、新聞、中刷り広告、パンフレットなど、)媒体の「露出」から。

 平成18年のNHK紅白歌合戦で何かと話題になったDJオズマさんの写真集製作に協力。当社製品のピースメーカーやピーメイ・クラブ・ブランド(当社製)のホルスターも小道具として使われた。写真は以下の通り。
 
キャトルブランドのホルスターを装着したOZMAさん東京店店長のホルスターをしたOZMAさんキャトル・ブランドをテーマとした当社オリジナルホルスターと当社製ピースメーカー。 右は当社東京店店長KEI井守所有のホルスター。
 
奥付に弊社のロゴが、、、奥付け には当社のロゴが掲載されている。
 
表紙にはダイヤモンド(?)が、、、裏表紙に DJ OZMA の文字が表紙にはダイヤモンド(?)が・・・。マット調の上品な表紙 (写真左)。裏表紙(写真右)にDJ OZMAの文字が浮かび上がるようにデザインされている。

ヴォーグに当社のGUNが載った!
VOGUE 時計特集の表紙VOGUE 平成18年8月号ファッションに詳しい人ならご存知の雑誌「ヴォーグ」日本版に当社のモデルガンが小道具として掲載された 。掲載されたのはダブル・デリンジャー・オールシルバー。世界の一流品時計を紹介する記事に掲載された。こういった依頼は結構ある 。
 掲載された「ヴォーグ」日本版は平成18年8月号。
キャノンのデジカメの広告ポスターまた同じように コニカミノルタのデジタルカメラ「ディマージュX50」の広告でも当社製ホルスターやピースメーカーが使用された。写真は東京の中央線社内の中吊り広告をパチリ。ご記憶の方 はいるかな?

「ぴあ」の掲載。
「ぴあ」中央線沿線紹介本「ぴあ」中央線沿線紹介本で紹介された記事東京店が「ぴあ」に紹介された。萩原流行さんの行きつけのお店として 掲載されている。写真は東京店店長のKEI井守。

今回の「独り言」では紙媒体でのパブリシティを中心に紹介した。この調子で次回、映像媒体での当社製品パブリシティを紹介したい。
 
名古屋店のショーウィンドウこのコーナーで紹介された写真集や以前に掲載 された書籍、サイン、ピンナップなど名古屋本店の展示ショーウィンドウでご覧いただけます。ショーウィンドウは店外に有りますので 営業時間外でもOK。ご自由に見て行ってください。
展示しているサインや写真は以下です。

タレント、俳優さん:モーニング娘さん、宍戸錠さん。
漫画家:望月三起也さん、田丸浩史さん、 福谷たかしさん。ファストドロウシューター:カル・エルリッチさん、ゲーリー・トライアンさん、ラルフ・ハウエルさん。この他、缶コーヒーCMでの浜崎あゆみさんの新聞記事や映画「絆」のパンフレットなど皆さんよくご存知の方たちの 写真やサインを楽しんでいただけます。
 

次回?「露出(その2−映像編)」の予告
○ 鬼束ちひろさんのプロモーションビデオ。
○ ハローモーニングでファストドロウが紹介された!
2007年秋公開予定の「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ」○ 今年公開予定のジャパニーズ・ウェスタン「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ」にもホルスター&ガンで協力中 映画公開が待ち遠しい 写真は映画宣伝で使われたもの。

【2007年3月4日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


第41話 白山社

 高血圧、高コレステロール対策に医者から歩くことを勧められた。それで今年に(平成19年)入ってから毎朝15分出社前に歩くことにした。当初は我が家の周辺を数日回っていたのだがせっかく歩くのに同じ風景ばかり見ていても何か物足りない。そこで近所の氏神さんにお参りに行く事にした。もっとも氏神さんは例年、我が家がお正月に年始参りにいく神社だ。「白山社」という社の名前で昭和区石仏町の塩付街道沿いにある。実はこのエッセイを書く際に調べてみて驚いたのは「白山社」はとても由緒ある神社ということ だ。
 以下が調べた結果だ。
 祭神は石仏村の氏神「菊理姫命(きくりひめのみこと)」です。貞享年間(1684〜87)に服部総一郎善昌が加賀国白山の「山神」を勧請したといわれ、社殿は前方後円墳の後円部に造営されています。古観音廃寺跡から出土した奈良時代の「布目の鬼瓦」(市文化財)が所蔵されて、また、むかし若者の力競べに使われた「力石」も残っています。この辺りは、かつての塩付街道の面影がかなり残っている所です。

 塩付街道も調べてみた。
 江戸時代の中ごろまで、南区本星崎町一帯では盛んに塩を作っていた。ここでとれた塩は千種区古出来町あたりに集荷され、遠く信州(現在の長野県)まで、俵に詰め運ばれたといわれている。本星崎町から古出来までの約10キロが塩付街道と呼ばれ、俵に詰めた塩を馬で運んだ「中馬(ちゅうま)」といわれる運送業者が往来していた。汐路町の道沿いに残る松が、昔の街道の趣を伝えている。

外部リンク>名古屋市観光情報 「塩付街道」

 さて、境内に柴犬が一匹いるのだがどうもこのお犬さんは私を嫌っているのか毎回吠えられる。いつも丸まって寝ているのでそっと横を通り抜けようとするが結局は気がつかれ吠えられてしまう。毎朝、お参りに行くのか、吠えられに行くのか分からない。どうにかしてよ。
境内のお犬様後日、お犬様をぱちり。写真を撮っている間ずっと唸っていて最後はお約束よろしく吠えられた。犬と猫にはこんなに嫌われたことないのに、よほど相性が悪いのかな?
 
「塩付街道」と記された歩道白山社に行く歩道に は「塩付街道」と記されている。

道すがらの土蔵道すがらの土蔵道すがら古いお屋敷や土蔵を見かける。土蔵を見ると 中にコルト・ネービーやレミントンニューモデルアーミーなどの古式銃が眠っている想像をしてしまう。これもある種の職業病なのだろうか?

白山社の入り口白山社の入り口白山社入り口・正面。撮影の日があいにくの雨だったがお社を撮るにはムードがあっていいのかも。 この日はいつもいるお犬様は雨の為不在。

お清め場お参り前にここで 手を清める。

本殿何を願うか、何を祈るか? 毎朝会う老婆は10分以上祈り続けていた。
 

古式風景の細い道古式風情ある細い道(私は毎朝この道を通る。)から白山社を見る。 右側の大木のあるところが白山社。

【2007年3月3日発】

(株)ハートフォード代表 コネティ加藤


ご清聴(?)ありがとうございました(笑) from WEBスタッフ@ハートフォード
(background illustrated by ソウマン)


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