恒例のオールジャパン・ファストドロウ・チャンピオンシップをミニレポートする。詳細は雑誌に掲載されるのでそちらを見てほしい。
今年はオールジャパン・ファストドロウ・チャンピオンシップ・イン・名古屋と銘打たれ、我がピーメイ・クラブ・メンバーが中心となって開催の努力をした。名古屋では初めての全国大会開催は、私を含めメンバー全員のプレッシャーとなった。使用する米国製のファストドロウ・タイマー、バルーン・ホルダーの調整、スムースな競技進行の検討、(関東、九州など遠隔地からの参加者多数のため、進行をスムースにしないと交通機関移動に影響が及ぶ)、そして宿の確保、懇親会の設定、などなど、一杯の課題を抱えての開催だった。
10月10日(日)、11日(月・振替休日)の二日間、三重県・四日市のJA農協会館を会場として開催。
ここで一つの大問題発覚!!それは、同じスケジュールで同県・鈴鹿市でF-1日本グランプリが開催されること。
各地区からの参加シューターの宿泊を確保するのが至難のわざだった。何とか宿はとれてほっとしたのも束の間。次の試練はひそかに待ち受けていた。
開催日前日の9日に本州直撃の台風22号だ。
同日の中日新聞ニュースでは「台風の影響で関東、東海地方を中心に鉄道、航空、陸路などの交通機関が大きく乱れた」と記されている。「空の便184便欠航、新幹線は新富士駅〜掛川駅間の上下線が降雨のため運転を見合わせ、在来線も運休が相次いだ(以上9日午後一時のニュースより)。」
もう、こうなったら何でも来い、というのが我々の心境だったね。
しかし10日競技開始の午前10時半にはなんと参加シューター全員勢ぞろいした。これこそ参加シューターの熱意による奇跡と言って良いだろう。こんな大荒れの幕開けで始まった本大会ではあったがふたを開けてみると十分喜ぶべき(スポンサーとして)結果となった。それは参加シューターの大幅増、女性シューターの増(だれ?それはコネティさんが喜んでるんでしょ?というのは)。昨年の九州では57名、一昨年の東京(川口)では65名。今回の79名という参加シューター数の増加はファストドロウへの理解が進み始めた表れの一つと考えられる。これを機会にどんどんファストドロウに挑戦する人が増えて欲しいと思う。 |
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さて、参加した私はどうだったかというと・・・・。
実は大会の数日前に私はピーメイ・クラブのBBSにこんな書き込みをした・・・。
「泣いても笑ってもあと3日。SALAさんが参加されることで末広がりの(古いか?)80名のシューターとなりました。SALAさん、お会いするのを楽しみにしています。さて、昨年の福岡が57名、2002年東京が65名、2001年大阪45名と考えると、突出して多い参加者となりました。スポンサーの一社としてはうれしい限りでありますが競技を含めた進行が心配です。速やかな進行が出きる様シューターとしてもスポンサーとしても協力したいところです。(挨拶は30秒ねと影の声)。ところで私は今年はツーハンドでシュートする事を宣言します。(大げさ)先日、ピーメイ・クラブ名古屋の人(リー・バン・中村氏)から「入会当初、加藤さんからこのクラブは西部のガンマン志向の人が多いし、個人的にもツーハンドは邪道と思っている。」と言われた。(本人は忘れている。)とかで裏切り者扱いです。(ぐすん)。でもその彼はサミングで頑張っていまや3秒台が基本。意地でもサミングで行くそうです。会社のみんなからはドベにはならんでネと、くぎを刺されているので邪道であろうが裏切り者扱いされようが私はツーハンドシューターで上位(?)を目指すつもりです。どえらいりゃーことでのうてええで、ちょびっとは期待しとってちょーッ。(名古屋弁を翻訳しますと多くでなくていいけど少しは期待してね。です。)皆さん会場で会いましょう。そして頑張って下さい。私を見かけたら冷やかしてやって下さい。」
ってな事を調子よく書いているがまっ、逃げるわけじゃないけど結果は成績表をみて。大会の終わったすぐ後はあの時のシュートはああするべきだったとかこうするべきだったとか考えていたけどいまは来年に向けて地道に練習すっかなぁというのが心境。来年のこのページ期待しとってネ。(期待しないだろうなとボソッ)
(記録はこちらをご参照ください。)
【2004年12月2日発】
(株)ハートフォード代表 コネティ加藤 |